親会社の方でまた一人の社員が辞める。彼は46歳、中途採用で2年9ヶ月ほど勤めた。
入社後1年以上かけて仕事を引き継ぎ、1年前から仕事も一人でやれるようになっていた。
仕事は受注した注文を何段階かの加工先に手配し納めるまでの工程と納期管理である。
顧客の要求通りに納品して当たり前、納期遅れや商品クレームは彼の責任範疇になる。
会社の中では要の仕事で、煩雑な業務や日々納期に追われることに神経をすり減らす。
そのため誰もがその仕事を敬遠して、何も知らない新入りにお鉢が回ってくる感じである。
業界のことも商品知識も乏しい彼がこの仕事を回すには少し荷が重すぎたのかもしれない。
仕事が自分の物にならないまま、営業との感情的なしこりや摩擦が引き金になってしまい、
結局辞めることになったようである。
オーナーは人の管理が苦手である。特に社員間のトラブルや感情の縺れには介入しない。
「私は命令してやらせるのは嫌だし、やる方も嫌だと思う。だから社員の自主性に任せる」
それがオーナーの言い分である。そのためオーナーは公私とも社員との交わりを極力避ける。
どちらかと言えばチームプレーは苦手で、社員には評論家的なスタンスに立つことが多い。
オーナーに代わって管理する人間も置かず、労務管理的なものは存在しない会社である。
オーナー自身が「この会社は弱肉強食のサファリーパーク」と、その野放図さは認めている。
しかし「指図されて動くのは人間的ではない」と言って、社員管理に乗り出すことはない。
そんな野性の世界で生存していくには一人一人が生きる術(すべ)を持たねばならない。
誰にも有無を言わせぬ実力をつける。徒党を組む。マイペースを貫く。強い者にすり寄る。
まさしくサファリパークの動物のように生きるための戦略を持たねば生き抜いていけない。
「のほほん」としていればたちまち、周りから寄ってたかって攻撃されボロボロにされてしまう。
そんな環境の中で過去に多くの社員が辞めていった。仕事の適正を欠いた人もいたが、
多くはこの会社の雰囲気に馴染めず、会社に失望して辞めていった人がほとんどである。
会社という人間の集団であれば、どこの会社にも大なり小なり、あることなのであろうが、
管理された大企業とは違い、中小零細ではそれがより鮮明に出てきてしまうようである。
その環境の中で勤め続けるには「彼」はあまりにも大人しい「草食系」タイプであった。
彼は子供はいなく奥さんと2人暮らしである。毎日定時に地下鉄の入谷駅に降り立つ。
言問通りを歩いて2つ目の信号を右折し、角の100円均一の自販機で飲料を買う。
会社までの道のり歩きながら煙草を吸い、吸い殻は道端の下水口に投げ込んで捨てる。
10分程で会社に着くが、会社に直ぐに入らず、素通りして隣にある公園のベンチに座る。
そこで又煙草を一本吸い、吸い終わると靴底で火をもみ消す、さらにもう一本を吸う。
2本目の煙草を吸い終わると、2つの吸い殻を拾い、やはり道端の下水口に投げ入れる。
やおら玄関に立ち意を決したように扉を開け、一礼してから事務所の階段を上がっていく。
これが彼の1日のスタートである。この行動パターンは変わることはない。
机に座るとPCを立ち上げ、ウインドウズ付属のスパイダ、ソリティアというゲームで一回遊び、
それから仕事に取り掛かる。お昼は奥さん手作りの弁当を食べ、思う存分煙草を吸って
又仕事に戻る。仕事が終わってからはほとんど寄り道をせず、まっすぐ家路に就くのである。
休日は2匹の飼い犬の散歩、奥さんとの買い物、そして時々2人での外食を楽しんでいる。
彼の趣味は夜空の観察、流星群が来た時など、群馬天文台に行って星を見たそうである。
彼のパソコンのディスクトップは月のデコボコの表面が大写しになっている写真が貼ってある。
出世など望まない、心穏やかに毎日を暮らして行ければそれで良い、そんなタイプである。
彼は純粋な草食系だから人と戦うことうをしない、しないというより戦えないのかもしれない。
したがって社内外の人間関係を良好にしようとすると、どうしても自分の方が折れてしまう。
自分が相手の要求を全て受け入れることで、相手との良好な関係を維持しようとする。
その戦略は女性社員には好感を持たれ受け入れられても、サファリパークでは通用しない。
肉食系の男子社員からは良いように扱われ、理不尽な要求をされ、使い走りに使われる。
又彼をバカにすることで、自分の優位さを周りに示そうとするヤカラまでが出てくることになる。
彼の誠意、努力はなんら報いられることなく、社内の力関係の最下位に位置されてしまう。
昨年暮れ、彼は腰痛を起こし3ヶ月弱休んでしまった。彼は否定するが仕事のストレスが
昂じた事が原因だと思われる。復帰して半年経過したが、結局そのストレスに耐えることが
出来なかったのだろう。ある営業担当の言動に耐えかね「辞める」ことを決意したようである。
彼が辞めることで会社の業務としては大きな支障を来す。しかし自主性を言うオーナーは
「来るもの拒まず、去る者追わず」と引きとめることもせず、トラブルには関わろうとはしない。
彼は前に勤めていた会社も、社内の人間関係が原因で自ら身を引く形で辞めたと聞く。
縦列の会社の中では、すこしでも自分の優位を示すために相手を大きな声で威圧したり、
相手のミスをなじったり、欠点を言い募ったりすることで、上位に立とうとする連中が多い。
そんな中では自分の殻に閉じもり、自分を殺し、ひたすら耐えているだけではだめである。
一回で良い、自分の正しさを言い張り、自分の主張を通し、相手の要求を拒絶すれば
呪縛から抜け出すことができる。そのことで相手との関係が変わり、環境が変わるのだが。
管理された大企業であれば配置転換ということも考えられるのであろうが、中小企業では
そのポストもないし、そこまでの配慮を期待しても無理である。やはり誰に頼るのではなく
自らが勇気を出して打開するしかなかった。だが残念ながら彼にはその「勇気」がなかった。
「勇気」とは生まれながらに備わっているものではなく、自分の中から絞り出すものと言う。
ちょうど高い飛び込み台から飛び込むようなものである。一度飛び込んでしまえば次からは
恐怖が亡くなり飛べるようになる。そんなものであろう。
今朝の朝礼で彼は「退社」の挨拶をした。
か細い声で「短い間でしたが、皆さまにはお世話になりました」とだけの簡単な挨拶である。
彼は今晩から実家がある奈良に帰るという。それも送別会を拒否するためなのであろう。
もう彼はいっときも会社にいたくない、会社の誰とも関わりたくない。そんな心境であろう。
それほど彼は傷ついてきたのかもしれない。会社が恐怖の対象であったのかもしれない。
彼は大勢の人の中で協調しながら仕事をして行くのは不向きな性格のように思われる。
どちらかと言えば決められたマニュアルに沿って、動く方が力を発揮できるのかもしれない。
彼は落ち着いたら地元の工業団地をしらみつぶしに当たってみようかと思う、と言っている。
しかし昨年来の不況、製造工場にしても、おいそれとは再就職先は見つからないだろう。
家のローン、車のローンがまだたっぷりと残っているという。彼には生き辛い世の中である。
入社後1年以上かけて仕事を引き継ぎ、1年前から仕事も一人でやれるようになっていた。
仕事は受注した注文を何段階かの加工先に手配し納めるまでの工程と納期管理である。
顧客の要求通りに納品して当たり前、納期遅れや商品クレームは彼の責任範疇になる。
会社の中では要の仕事で、煩雑な業務や日々納期に追われることに神経をすり減らす。
そのため誰もがその仕事を敬遠して、何も知らない新入りにお鉢が回ってくる感じである。
業界のことも商品知識も乏しい彼がこの仕事を回すには少し荷が重すぎたのかもしれない。
仕事が自分の物にならないまま、営業との感情的なしこりや摩擦が引き金になってしまい、
結局辞めることになったようである。
オーナーは人の管理が苦手である。特に社員間のトラブルや感情の縺れには介入しない。
「私は命令してやらせるのは嫌だし、やる方も嫌だと思う。だから社員の自主性に任せる」
それがオーナーの言い分である。そのためオーナーは公私とも社員との交わりを極力避ける。
どちらかと言えばチームプレーは苦手で、社員には評論家的なスタンスに立つことが多い。
オーナーに代わって管理する人間も置かず、労務管理的なものは存在しない会社である。
オーナー自身が「この会社は弱肉強食のサファリーパーク」と、その野放図さは認めている。
しかし「指図されて動くのは人間的ではない」と言って、社員管理に乗り出すことはない。
そんな野性の世界で生存していくには一人一人が生きる術(すべ)を持たねばならない。
誰にも有無を言わせぬ実力をつける。徒党を組む。マイペースを貫く。強い者にすり寄る。
まさしくサファリパークの動物のように生きるための戦略を持たねば生き抜いていけない。
「のほほん」としていればたちまち、周りから寄ってたかって攻撃されボロボロにされてしまう。
そんな環境の中で過去に多くの社員が辞めていった。仕事の適正を欠いた人もいたが、
多くはこの会社の雰囲気に馴染めず、会社に失望して辞めていった人がほとんどである。
会社という人間の集団であれば、どこの会社にも大なり小なり、あることなのであろうが、
管理された大企業とは違い、中小零細ではそれがより鮮明に出てきてしまうようである。
その環境の中で勤め続けるには「彼」はあまりにも大人しい「草食系」タイプであった。
彼は子供はいなく奥さんと2人暮らしである。毎日定時に地下鉄の入谷駅に降り立つ。
言問通りを歩いて2つ目の信号を右折し、角の100円均一の自販機で飲料を買う。
会社までの道のり歩きながら煙草を吸い、吸い殻は道端の下水口に投げ込んで捨てる。
10分程で会社に着くが、会社に直ぐに入らず、素通りして隣にある公園のベンチに座る。
そこで又煙草を一本吸い、吸い終わると靴底で火をもみ消す、さらにもう一本を吸う。
2本目の煙草を吸い終わると、2つの吸い殻を拾い、やはり道端の下水口に投げ入れる。
やおら玄関に立ち意を決したように扉を開け、一礼してから事務所の階段を上がっていく。
これが彼の1日のスタートである。この行動パターンは変わることはない。
机に座るとPCを立ち上げ、ウインドウズ付属のスパイダ、ソリティアというゲームで一回遊び、
それから仕事に取り掛かる。お昼は奥さん手作りの弁当を食べ、思う存分煙草を吸って
又仕事に戻る。仕事が終わってからはほとんど寄り道をせず、まっすぐ家路に就くのである。
休日は2匹の飼い犬の散歩、奥さんとの買い物、そして時々2人での外食を楽しんでいる。
彼の趣味は夜空の観察、流星群が来た時など、群馬天文台に行って星を見たそうである。
彼のパソコンのディスクトップは月のデコボコの表面が大写しになっている写真が貼ってある。
出世など望まない、心穏やかに毎日を暮らして行ければそれで良い、そんなタイプである。
彼は純粋な草食系だから人と戦うことうをしない、しないというより戦えないのかもしれない。
したがって社内外の人間関係を良好にしようとすると、どうしても自分の方が折れてしまう。
自分が相手の要求を全て受け入れることで、相手との良好な関係を維持しようとする。
その戦略は女性社員には好感を持たれ受け入れられても、サファリパークでは通用しない。
肉食系の男子社員からは良いように扱われ、理不尽な要求をされ、使い走りに使われる。
又彼をバカにすることで、自分の優位さを周りに示そうとするヤカラまでが出てくることになる。
彼の誠意、努力はなんら報いられることなく、社内の力関係の最下位に位置されてしまう。
昨年暮れ、彼は腰痛を起こし3ヶ月弱休んでしまった。彼は否定するが仕事のストレスが
昂じた事が原因だと思われる。復帰して半年経過したが、結局そのストレスに耐えることが
出来なかったのだろう。ある営業担当の言動に耐えかね「辞める」ことを決意したようである。
彼が辞めることで会社の業務としては大きな支障を来す。しかし自主性を言うオーナーは
「来るもの拒まず、去る者追わず」と引きとめることもせず、トラブルには関わろうとはしない。
彼は前に勤めていた会社も、社内の人間関係が原因で自ら身を引く形で辞めたと聞く。
縦列の会社の中では、すこしでも自分の優位を示すために相手を大きな声で威圧したり、
相手のミスをなじったり、欠点を言い募ったりすることで、上位に立とうとする連中が多い。
そんな中では自分の殻に閉じもり、自分を殺し、ひたすら耐えているだけではだめである。
一回で良い、自分の正しさを言い張り、自分の主張を通し、相手の要求を拒絶すれば
呪縛から抜け出すことができる。そのことで相手との関係が変わり、環境が変わるのだが。
管理された大企業であれば配置転換ということも考えられるのであろうが、中小企業では
そのポストもないし、そこまでの配慮を期待しても無理である。やはり誰に頼るのではなく
自らが勇気を出して打開するしかなかった。だが残念ながら彼にはその「勇気」がなかった。
「勇気」とは生まれながらに備わっているものではなく、自分の中から絞り出すものと言う。
ちょうど高い飛び込み台から飛び込むようなものである。一度飛び込んでしまえば次からは
恐怖が亡くなり飛べるようになる。そんなものであろう。
今朝の朝礼で彼は「退社」の挨拶をした。
か細い声で「短い間でしたが、皆さまにはお世話になりました」とだけの簡単な挨拶である。
彼は今晩から実家がある奈良に帰るという。それも送別会を拒否するためなのであろう。
もう彼はいっときも会社にいたくない、会社の誰とも関わりたくない。そんな心境であろう。
それほど彼は傷ついてきたのかもしれない。会社が恐怖の対象であったのかもしれない。
彼は大勢の人の中で協調しながら仕事をして行くのは不向きな性格のように思われる。
どちらかと言えば決められたマニュアルに沿って、動く方が力を発揮できるのかもしれない。
彼は落ち着いたら地元の工業団地をしらみつぶしに当たってみようかと思う、と言っている。
しかし昨年来の不況、製造工場にしても、おいそれとは再就職先は見つからないだろう。
家のローン、車のローンがまだたっぷりと残っているという。彼には生き辛い世の中である。