先週のブログに書いたことで、ある人から質問を受けた。「自分には小学生の子供がいるが、学校でインフルエンザが流行っても、罹らないように気をつけける必要がないと言うのか?」というものである。自分の子供ではないから無責任なことは言えないが、今自分の子供がその年齢で、虚弱ではなく並の体力があれば、インフルエンザに罹ることは歓迎するだろう。色々な病気に対してひとつひとつ克服していき、それに対しての抗体を持っておくことば、長い目で見れば病気に対して強い子供を作っていくことだと思っているからである。麻疹(ハシカ)でよく言われることだが、子供のときに罹っておけばそれなりで済むものを、大人になって罹れば重症化してしまう、それと似たようなものである。だから病気を避けて通ることばかりを考えるのではなく、それに立ち向かえる体を作っておいてやる。これは親としての努めのように思うのである。
先日読んでいた本で「福岡ハカセの本棚」(福岡伸一著)という本にこんなことが書いてあった。
人間の免疫システムを考えるとき、私たちの体にはウイルスや細菌が進入したらただちに攻撃できるように、あらかじめ100万種ぐらいの抗体をつくる準備がされています。・・・このような膨大な仕組みが胎児期に準備されるのですが、以後、その人の免疫システムが、何にどのように反応するようになるかは、置かれた環境によって決まります。そして使われないものは徐々に失われて行くことになるのです。・・・つまり生命は始めに余剰分も含めた雑多な可能性、言い換えれば「過剰さ」を用意しており、それをどう使うかは環境との相互作用に委ねられているわけです。ちょうど大きな石膏の塊を渡されて、後は環境に合わせて勝手に彫ってください、というようなものなのです。
今「人」というものの捉え方は、子供が障害なく生まれたとき、人のスペックはおおよそ同じようなもので、その後の育っていく環境によって変化していくという考え方が主流のようである。諺にある『氏より育ち』(人間形成においては、家がらや血筋よりも、育っていく環境や受ける教育により、違ってくる) ということであろう。本には・・・免疫系と同じことが神経系にもいえます。脳内の回路も始めは非常に複雑なものとして与えられ、そこから環境や外的刺激によって強化されるものと、削りとられるのが決まっていきます。と書いてある。スポーツ選手の子供がスポーツ選手になったり、音楽家の子供が音楽家になったりすることが多いのも、生まれ持っての能力が高いのではなく、育っていく環境がそうさせていくのであろう。
今は少子化の影響でどうしても親が子供にかまいすぎてしまう。そのため行き過ぎた英才教育や過保護が、子供達からのびのびと成長する環境を奪い、「自然な子」への妨げになっているように思うのである。著者が言っている「石膏の塊を彫って彫刻にしていく」のは、あくまでも子供本人がやるべきもので、決して親が鋳型にはめて作るものではないはずである。そのとき彫刻に使うノミや金槌になるのが知力、体力、免疫力、精神力なのではないだろうか。だから子供には自在に腕を振るうための、基礎的な力だけを作っておいてやる。それが親としての役割のように思うのである。
先日読んでいた本で「福岡ハカセの本棚」(福岡伸一著)という本にこんなことが書いてあった。
人間の免疫システムを考えるとき、私たちの体にはウイルスや細菌が進入したらただちに攻撃できるように、あらかじめ100万種ぐらいの抗体をつくる準備がされています。・・・このような膨大な仕組みが胎児期に準備されるのですが、以後、その人の免疫システムが、何にどのように反応するようになるかは、置かれた環境によって決まります。そして使われないものは徐々に失われて行くことになるのです。・・・つまり生命は始めに余剰分も含めた雑多な可能性、言い換えれば「過剰さ」を用意しており、それをどう使うかは環境との相互作用に委ねられているわけです。ちょうど大きな石膏の塊を渡されて、後は環境に合わせて勝手に彫ってください、というようなものなのです。
今「人」というものの捉え方は、子供が障害なく生まれたとき、人のスペックはおおよそ同じようなもので、その後の育っていく環境によって変化していくという考え方が主流のようである。諺にある『氏より育ち』(人間形成においては、家がらや血筋よりも、育っていく環境や受ける教育により、違ってくる) ということであろう。本には・・・免疫系と同じことが神経系にもいえます。脳内の回路も始めは非常に複雑なものとして与えられ、そこから環境や外的刺激によって強化されるものと、削りとられるのが決まっていきます。と書いてある。スポーツ選手の子供がスポーツ選手になったり、音楽家の子供が音楽家になったりすることが多いのも、生まれ持っての能力が高いのではなく、育っていく環境がそうさせていくのであろう。
今は少子化の影響でどうしても親が子供にかまいすぎてしまう。そのため行き過ぎた英才教育や過保護が、子供達からのびのびと成長する環境を奪い、「自然な子」への妨げになっているように思うのである。著者が言っている「石膏の塊を彫って彫刻にしていく」のは、あくまでも子供本人がやるべきもので、決して親が鋳型にはめて作るものではないはずである。そのとき彫刻に使うノミや金槌になるのが知力、体力、免疫力、精神力なのではないだろうか。だから子供には自在に腕を振るうための、基礎的な力だけを作っておいてやる。それが親としての役割のように思うのである。