所沢 中氷川神社
2014年(平成26年)の年が明けた。私も今年の7月で70歳になる。「いよいよ」と思う反面、「まだまだ」という気持ちもある。
論語に「七十にして心の欲する所に従へど、矩(のり)を踰(こ)えず」というのがある。これは孔子が一生を回顧して、その人間形成の過程を述べたもので、これを最初から引用すると、
子曰、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみしたが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へど、矩(のり)を踰(こ)えず。
これによると70歳からは人間形成の最終段階になるようである。「七十にして・・・・」の解説は、「七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった」ということらしい。
私の子供達はそれぞれ家を離れて独立し、今は女房と2人暮らしである。女房とは反りが合わず、お互いはあまり干渉しない。今やっている個人会社にも未練はなく、いつ畳んでも良いと思っている。「何も背負うものがない」、「何も欲しいものがない」、「それほどの、意地もなければプライドもない」。私の70歳はこんなものであろう。だからこれからを自分の心の向くままに生きたとしても、人様に大きな迷惑をかけることはないはずである。だから論語のこの一説に従って「心の欲する所に従って」生きてみようと思うのである。当然蓄えも少ないし収入も細るわけで、その範囲内という制約はある。
では今自分の心の欲することとは何であろう?と自問してみる。一つはやはり世間との係わりであろう。今まで70年を振り返ってみて曲がりなりにも生きてこられたのも、両親をはじめ多くの諸先輩方や同僚に助けられ育まれてきたからだと心底思っている。少し遅きに失した面は否めないが、社会との係わりを維持しつつ、ささやかでも自分が貢献できる事を見出して実践してみたいと思う。そしてもう一つ、それは「人生を楽しむ」ことである。背負うものも軽くなってきて自在に動けるわけである。自分の知らない土地を散策しその情景を楽しむ。心に残るものを写真に撮ったりスケッチしてみる。心を許せる友と語り合う。何か目標を作ってチャレンジしてみる。そんな風に今までの殻を脱いで、心を自在に遊ばせて見たいと思うのである。この心境を例えるとすると、次に行く先が決まっていて、中学や高校を卒業した年の春休みの気楽さ自由さであろう。行く先の見えた私の人生、これからは最後の春休みと思って楽しんで見たいと思うのである。
駅からの散歩
旧東海道箱根路 1月4日
昨年年賀状を作っていて、折角絵を習っているのだから来年は自分の描いた絵を使ってみようと思った。それには年賀に相応しい題材が要る。年が明けて2日3日と箱根駅伝を見ていて、ふと富士山(ベタだが)の絵を描いて見ようと思い芦ノ湖に行ってみることにした。これも心の向くままである。
小田原から箱根登山鉄道で箱根湯本へ、そこからバスで旧東海道の本陣跡で下車、少し街道を歩いてから石畳の昔ながらの箱根路を歩く。鬱蒼とした林の中を石畳の道がどこまでも続く。石畳は凸凹が激しく、フラットな道に慣れた現代人には意外と歩きづらいものである。日陰には雪が残っていて、高みに登ってきたことを実感するようになる。しばらく歩いて、やがて権現坂の急な下りを降りると芦ノ湖(元箱根)である。
ここから少し高台にある成川美術館へ、ここは富士山の絶景ポイントでもある。しかし今日の富士山は少し雲が懸かって、雪も少なくインパクトに乏しい。これでは年賀状には使えない。年賀状にはまた別な題材を考えることにした。
小田原で箱根登山鉄道に乗り換え箱根湯本へ
箱根湯本からバスで旧東海道の本陣跡で下車
旧東海道
畑宿から石畳の旧東海道に入る
鬱蒼とした山道
湘南方面を一望
日陰は雪が残っている
権現坂
芦ノ湖(元箱根に到着)
成川美術館
箱根旧街道杉並木
箱根関所から遊覧船で湖尻まで
湖尻からバスで箱根湯本へ
2014年(平成26年)の年が明けた。私も今年の7月で70歳になる。「いよいよ」と思う反面、「まだまだ」という気持ちもある。
論語に「七十にして心の欲する所に従へど、矩(のり)を踰(こ)えず」というのがある。これは孔子が一生を回顧して、その人間形成の過程を述べたもので、これを最初から引用すると、
子曰、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみしたが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へど、矩(のり)を踰(こ)えず。
これによると70歳からは人間形成の最終段階になるようである。「七十にして・・・・」の解説は、「七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった」ということらしい。
私の子供達はそれぞれ家を離れて独立し、今は女房と2人暮らしである。女房とは反りが合わず、お互いはあまり干渉しない。今やっている個人会社にも未練はなく、いつ畳んでも良いと思っている。「何も背負うものがない」、「何も欲しいものがない」、「それほどの、意地もなければプライドもない」。私の70歳はこんなものであろう。だからこれからを自分の心の向くままに生きたとしても、人様に大きな迷惑をかけることはないはずである。だから論語のこの一説に従って「心の欲する所に従って」生きてみようと思うのである。当然蓄えも少ないし収入も細るわけで、その範囲内という制約はある。
では今自分の心の欲することとは何であろう?と自問してみる。一つはやはり世間との係わりであろう。今まで70年を振り返ってみて曲がりなりにも生きてこられたのも、両親をはじめ多くの諸先輩方や同僚に助けられ育まれてきたからだと心底思っている。少し遅きに失した面は否めないが、社会との係わりを維持しつつ、ささやかでも自分が貢献できる事を見出して実践してみたいと思う。そしてもう一つ、それは「人生を楽しむ」ことである。背負うものも軽くなってきて自在に動けるわけである。自分の知らない土地を散策しその情景を楽しむ。心に残るものを写真に撮ったりスケッチしてみる。心を許せる友と語り合う。何か目標を作ってチャレンジしてみる。そんな風に今までの殻を脱いで、心を自在に遊ばせて見たいと思うのである。この心境を例えるとすると、次に行く先が決まっていて、中学や高校を卒業した年の春休みの気楽さ自由さであろう。行く先の見えた私の人生、これからは最後の春休みと思って楽しんで見たいと思うのである。
駅からの散歩
旧東海道箱根路 1月4日
昨年年賀状を作っていて、折角絵を習っているのだから来年は自分の描いた絵を使ってみようと思った。それには年賀に相応しい題材が要る。年が明けて2日3日と箱根駅伝を見ていて、ふと富士山(ベタだが)の絵を描いて見ようと思い芦ノ湖に行ってみることにした。これも心の向くままである。
小田原から箱根登山鉄道で箱根湯本へ、そこからバスで旧東海道の本陣跡で下車、少し街道を歩いてから石畳の昔ながらの箱根路を歩く。鬱蒼とした林の中を石畳の道がどこまでも続く。石畳は凸凹が激しく、フラットな道に慣れた現代人には意外と歩きづらいものである。日陰には雪が残っていて、高みに登ってきたことを実感するようになる。しばらく歩いて、やがて権現坂の急な下りを降りると芦ノ湖(元箱根)である。
ここから少し高台にある成川美術館へ、ここは富士山の絶景ポイントでもある。しかし今日の富士山は少し雲が懸かって、雪も少なくインパクトに乏しい。これでは年賀状には使えない。年賀状にはまた別な題材を考えることにした。
小田原で箱根登山鉄道に乗り換え箱根湯本へ
箱根湯本からバスで旧東海道の本陣跡で下車
旧東海道
畑宿から石畳の旧東海道に入る
鬱蒼とした山道
湘南方面を一望
日陰は雪が残っている
権現坂
芦ノ湖(元箱根に到着)
成川美術館
箱根旧街道杉並木
箱根関所から遊覧船で湖尻まで
湖尻からバスで箱根湯本へ