友人に「箱根駅伝のコースを歩く」ことを話すと、「俺も歩く」と言い出し今回から2人になった。朝10時に京急大森海岸駅に待ち合わせて、国道15号線を歩き始める。友人は168cmで86kg、当面の目標は80kgを切ることだという。リュックを担ぎ、腰には万歩計を着けて気合が入っている。1月でリタイアした友人は急に閑になって、目標は自分の健康管理だと言う。今は雨の日以外は毎朝近所を歩き、その記録を手帳につけている。
第一京浜と呼ばれる国道15号線は所々は片側5車線になったり、立体交差になっていたりと、東京と横浜を結ぶ大動脈である。そんな幹線も土曜日は車も少なく、排気ガスや騒音も気になららない。しかし沿線は整理され緑も少なく、物見遊山的な散歩には向いていない。京急の雑色駅を過ぎると、駅伝の中継でキーポイントになる六郷橋が近づいてくる。多摩川を挟んで手前が東京都大田区、対岸が神奈川県川崎市である。「大田区」で昔の麻雀仲間を思い出した。たしか彼は「大田区西六郷」だったはずである。一緒に歩いている友人とも、昔はよく麻雀をした仲間である。「○○さんは確かこの近くだから呼び出してみようか?」と友人に提案する。コンビニの前で彼の携帯に電話をかけると、「暇だから本を読んでいたところ、自転車で行くからそこで待っておいて」との返事である。電話を切ってから10分もしないうちに自転車に乗って我々の前に現れた。
彼は68歳、今は大田区のシルバー人材センターに登録し、時々小学校の休日や夜間の警備の仕事をしていると言う。「久しぶりだから、どこかで飯でも食おう」、と川崎まで一緒にくることになった。3人で六郷橋を渡り始めると彼が、「今話題になっている中一殺人事件の現場はたぶんあそこ当たりだよ」と、対岸の下流を指差した。そこは橋を渡って500mほど下った先である。誰とはなしに「行ってみよう」ということになり橋を渡って左に折れる。多摩川の土手をしばらく歩くと水門が見えてきた。その脇に多くの人がたむろしている。土手から一段下がったところに献花の花束が積み上げられ、そこが現場だと分かる。近くで一人の中学生だろう少女が、多くの報道陣やカメラに囲まれてインタビューを受けていた。我々は献花の前にしゃがんで、静かに手を合わせる。亡くなった中学生の上村良太くんの無念さを思い涙がこぼれた。
川崎駅近くで3人で食事をしたあと、大田区の彼と別れ再び友人と2人で歩き始めた。横浜を過ぎるまではこの15号線(第一京浜)を歩くことになるのだろう。「日本橋から21km」の標識が見えた当たりから、傍を歩く友人が急に無口になってきた。たぶん疲れが溜まってきたのだろう。私より体重が15kgも重いということは、牛乳1Lを15本余分に持って歩いていることになる。少しかわいそうになって、「この先に鶴見市場という駅があるから、今日はそこまでにしようか?」と声をかけた。それから彼は少し元気になったようである。
京急 大森海岸駅
国道15号線(第一京浜)
磐井神社
直立不動で参拝しているおじいさん、約5分立っていた。
お参りが終わり我々を見て、「わずかな賽銭で、沢山の願い事を
頼むなよ!」と神様に叱られました、と冗談を言って帰っていった。
大森神社
平和島競艇行きのバスを待つ人
梅屋敷
京急 蒲田駅は改装中
前方からは大きく見えた建物は横から見れば
先の尖っ(薄っぺらい建物(大田区産業プラザ)
雑色の商店街
六郷橋
橋の下は六郷橋緑地野球場
多摩川
高いマンションの先が大きな事件になった中一の上村良太君が殺された現場
中央の凹んだ所が現場(望遠で撮る)
多摩川を渡ると大田区から川崎市になる
寄り道をして現場に行って見ることにした
近隣の人だろう、いつまでも立ち去らず遠巻きに見つめている
何社もの報道陣やカメラに囲まれて一人の中学生がインタビューを受けていた
現場には多くの花が供えられていた
私も手を合わせる。上村良太君の無念さを思うと自然に涙がこぼれる
川崎駅近くで食事をすることにした
再び15号線へ
陸橋はJR南武線
日本橋から21kmの標識
この当たりが鶴見の中継地点だろうか
京急 鶴見市場駅
今日はここまで