月2回の水彩画教室に通い始めて10月で4年が経過した。振り返ってみて、4年間よく続いたものだと思う反面、4年やってまだこの程度かと思うときもある。半年前に色鉛筆から水彩に切り替えて、最初は戸惑いがあったものの、描くほどに水彩にも慣れてきたようにも思う。
しかし自分の絵を見返して、いつも「野暮ったい絵だなぁ」と思うのである。それは絵にシャープさが欠けるからであろう。その原因は色の使い方にもあるのだろうが、一番は真っ直ぐな細い線が引けないこと、細かな部分が描きこめないからである。そんなことから、時にはペンで輪郭を取ってから色をつけても、やはりペンの線は頼りないのである。筆やペンが上手くコントロールできないのは、年齢の所為なのか、それとも訓練すれば何とかなるのか?そんなことが今一番の課題である。
今月(11月)の日経新聞の「私の履歴書」の筆者は絹谷幸二という洋画家である。このコラムは時代を代表する著名人が執筆するわけだから、この洋画家も有名な人なのであろう。しかし美術に疎い私はこの人の絵を見たこともないし、名前も知らなかった。しかし読んでいるうちに美術とは何なのかに触れている部分もある。
彼の実家は奈良の花街で料亭や置き屋をやっていた。したがって政治家や芸術家などの出入りが多く、小さい時から芸術に対しての刺激を受けたようである。その影響からか高校に入った時から将来は画家になると決めた。早い段階から絵を習い、大学の講習会なども受講し受験準備をし、そして見事に東京芸術大学に入学を果した。
必死で絵を勉強してそれなりの腕を磨いてきたのに、大学に入ったとたん、「今までの技術は全部忘れるように」と言われ、「絵はうまくなっちゃあいけない」と言われたという。芸術は1+1=2が正解ではなく、1+1が3や10になる世界、芸術はみなと同じ答えを出すのは間違いである。というように教えられたと書いてあった。そう言われればピカソも初期の作品は写実的で、素人目にはその絵のほうがはるかに上手く描いているように思う。しかしある時点から、ピカソはピカソの絵になって有名になったわけである。
芸術の何たるかも分からない私が絵について言うのもおかしいが、私は今は技術の習得期間なのであろう。自分の使いたい色が自在に出せ、自分の描きたいように筆が動き、自分の思う雰囲気を出すために、ひたすら技術を身に着けることなのだろうと思う。そして何年か勉強して、ある程度自分の思う絵が描けるようになったら、その時から自分の絵で表現が楽しめるのかもしれない。
下の絵はこの5ヶ月間の作品である。
練馬区 向山庭園
箱根町 早川
群馬県安中市 碓氷湖
狭山市
秩父郡 寺坂棚田(夏)
秩父郡 寺坂棚田(夏)
狭山市
小平市 平櫛田中彫刻美術館
下関市角島 大浜キャンプ場
下関市 角島大橋
下関市 赤間神宮
下関市 関門大橋
下関市上新地町
下関市茶山通り
下関市丸山町
下関市竹崎町
秩父郡 寺坂棚田(秋)
秩父郡 寺坂棚田(秋)
阿蘇郡 高森駅
山形 酒田市