越谷宿は奥州街道に伝馬制が敷かれると、早々に宿場になった。天保14年(1843年)の総家数は1,005軒。本陣や脇本陣のほか旅籠が52軒あったというからなかなかの賑わいである。越谷は明治7年と明治32年に2度の大火があり、多くの歴史ある建物が消失している。現存する趣のある建物を見ると、何やら火事が恨めしくなる。
旧日光街道は途中で国道4号線と合流する。頻繁に車が行きかう国道をひたすら歩くと粕壁宿に入る。春日部と粕壁(かすかべ)、南北朝時代に新田義貞の家臣春日部氏が当地を領地としたことから「春日部」の地名は生まれた。その後江戸時代には粕壁と表記されるようになり、さらに昭和に入って再び春日部が使用されるようになった。春日部の中心付近はまだ粕壁に町名も残っている。
越谷駅前
駅前通り
二つ目に信号を左折すると日光街道
旧日光街道
現役の横田診療所
昭和初期の建築
中町浅間神社
室町時代の創建、ケヤキは推定600年
小泉家
鍛冶忠商店
はかり屋
間口に比べ奥が深い
店舗はリニューアルされカフェやギャラリーなどもある複合施設に
街道を外れ元荒川の土手を越谷久伊豆神社へ
建長元年板碑
宮前橋
500m続く石畳の参道
越谷久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)
230余年の藤
天嶽寺
再び旧日光街道へ
大沢香取神社
街道の左側に北越谷の駅
街道左側に 宮内庁埼玉鴨場
国内に2ヶ所ある宮内庁の鴨場の一つ。東京ドーム2.5個分の広さがある。
鴨場入り口右の桜は今が満開
東武線の踏切
ここで国道4号線と合流
左に入るとせんげん台駅
左に入ると武里駅
林西寺
歴代の徳川将軍が交付した朱印状が残る格式の高いお寺
街道の所々に豪農の住まいがある
元荒川
東武野田線の鉄橋
東八幡神社
京都の石清水八幡宮から勧請し、氏神として祀ったのが始まりとされる
東陽寺
松尾芭蕉と河合曽良はこの寺に泊まったいう説がある
国道4号線と分かれて春日部中心部へ
粕壁宿 脇本陣跡
粕壁小前交差点
春日部市郷土資料館
縄文時代の竪穴住居を再現
縄文人の複顔
粕壁宿の1/200のジオラマ
春日部市は「彫刻のある街つくり」を目指している
彫刻は主なもので21体点在している
ミニバスにはクレヨンしんちゃんのキャラクターがデザインされれいる。
クレヨンしんちゃんの原作者臼井義人は春日部市が地元
駅前通り
春日部駅
ここにもクレヨンしんちゃん