60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

過呼吸

2009年10月16日 09時45分54秒 | Weblog
夜9時ごろパートから帰ってきた女房が、「息が苦しくて我慢できない、どうしよう」と訴える。
「朝から苦しかったが次第にひどくなってきた。これでは明日の朝までは耐えられない」と言う。
土曜日の夜だし救急病院しか思い当らず、私は近くにある救急病院に連れて行こうとした。
しかし女房は、あの病院はロクな医者がいないと近所で評判だという。「あんな病院に
行くのは嫌だ。出来れば呼吸器の専門の医者がいるところでないと心配だ」と言い出す。
こう言いだすと女房は人の意見は聞かない。自分が納得いかないと済まない性分である。
相談されたから今考える最善の方法を言ったわけだが、彼女はそれでは納得したことがない。
何時もこれで喧嘩になる。「じゃあ、自分の好きなようにすれば・・」これで決裂することになる。

女房は娘に手伝わせて、ネットで調べた6~7軒の病院へ片っぱしから電話を掛けまくる。
「今は当直の技師がいないからレントゲンが撮れない、だから来てもらっても検査ができない」
「当院は診察はできるが、重大な容態であっても今ベットが空いていないから難しい」等々
結局すべての病院から体良く断られてしまった。その間も「苦しい、苦しい」と言い続ける。
「救急車を呼ぶか?」私の提案に「救急車でも今電話を掛けた病院へ連絡を取るだけで、
結局たらい回しになるだけだから」、やはりこちらの提案に素直に従うことはありえない。
自分の思考が堂々めぐりしているのだろう。結論が出ないままとうとう12時を過ぎてしまった。
その間も「苦しい苦しい、息ができない。このままでは朝まで持たない」そう言い続けている。
「どうしよう、どうしよう」何の解決策も考えつかず、私が言った救急病院へ行くことになった。
病院へ着いた時は、すでに夜中の1時を過ぎていた。

その病院は当直の看護婦と技師と大学病院から来ている外科医の3人体制であった。
容態を話すと早速検査に入る。血圧、脈拍、吸入の酸素量測定、肺のレントゲン等々。
検査後、先生は「酸素は充分取れている、肺にも異常がないから今時点では何とも判断
できない。何にか急激なストレスでもありましたか? 精神安定剤でも出しておきましょう」
そういうことで診察は終わった。女房も検査で異常がなかったからか少し落ち着いてきた。
家に帰ったら3時を回っている。明日やっている病院へ連れて行くということで私は休んだ。

翌朝「昨日は苦しくて、まともに寝ることができなかった。どうしよう、どうしよう」と訴えてくる。
「昨日もらった安定剤は効かなかったのか?」と聞くと。眼科の先生が緑内障の恐れが
あるから眼圧を上げる薬は飲むなと言われている。ネットで調べたら、この薬は眼圧を
上げる可能性があるから飲むのを止めたと言う。「苦しさと眼圧のリスクと、どっちが自分に
とって優先するのか?先ずは試してみるべきだろう」そういっても人の言うことは聞かない。
「患者が呼吸が苦しいと言うのに、気休めで安定剤を出す医者は信用できない」と言う。
ああ言えばこう言う、自分が納得しない限り医者の言うことも聞かない。何時もこうである。
自分が高い見識を持っているならいざ知らず、ただ感情だけに支配され物事を判断する。
そんな女房に何時も苛立つ。「だったら勝手にすれば」そういう態度を取るしか方法はない。

最近は土日診療を中心にする病院も珍しくない。9時過ぎに市内の病院へ連れて行く。
病院は患者も多く、結局診察が始まったのは11時過ぎになった。早速検査することになる。
血液検査、肺と心臓のCT、インフルエンザの検査等、病院で可能な限りの検査をやった。
検査結果が出て、医師に呼ばれた時はすでに3時を回っていた。同伴で検査結果を聞く。
「検査の結果に異常と思われるものは出てきませんでした。あとは筋肉から来る場合や
神経から来る場合も考えられます。今はもうすこし様子を見てください」との診断である。
これで女房は納得しない。「これだけ苦しい思いをしているから、対処療法でも何でも
良い、何かこの苦しさをやわらげる薬を出してもらえないか」そんな風に医者に迫る。
しかし医者は「気管支も開いているし、原因がはっきりしないから薬は処方できません。
今日は日曜日で、これ以上ひどくなり耐えられなければ救急車を呼んだ方が良い思う。
又データーは貸し出しますから、なるべく多くの医者に診てもらえばまた違った角度で
病気を捕え解決に結びつくかもしれません」と丁寧に対応してくれる。
私はこれだけ調べてなんら原因になるものが見つからなければ、この医者の知る専門
範囲内で該当するものがなければ、こう言うしかないだろうと思う。しかしワラをもすがる
患者としては「ハイ、そうですか」と言うわけにはいかないであろう。それも分る。

診察室から出て女房は医者に対しての不満を言い募る。「患者がこれだけ苦しいと訴えて
いるのだから、気休めでも良いから何か薬を出すべきだ。薬が出せないなら、点滴でも良い
どうにかして患者を落ち着かせるのが医者の勤めではないか」と言いはる。
自分に納得がいかなければ誰でもが批判の対象にしてしまう自己中な性格なのである。
「こんなに苦しいのに、どうすればいいのだ、どうすれば・」と尚もぶつぶつ愚痴を言い続ける。
検査に異常もなければ後は精神的な問題であろうということは容易に察することができる。
私は「昨日もらった精神安定剤、気休めだと思って飲んでみたら良いではないか」と勧める。
しかし本人はこの苦しさはどこか体の異常が原因で、精神的な問題と言われることに納得が
いかないのであろう。やはり薬を飲もうとはしない。

家に帰ったが、日曜日でもあり、医者が見て原因が分からなければこれ以上打つ手はない。
こんなことを続けていれば女房も疲れ果てるであろうが、付き合うこちらももううんざりする。
夜になって諦めたのか、結局精神安定剤を飲んだようだ。薬を飲んでしばらくしてから、
寝たのであろう。夜中に様子を聞いたら、苦しさは治まってきたという。
安定剤が効いたという事実があるのに、それは女房には受け入れがたいことだったのだろう。
週明け、都内の呼吸器専門病院へ予約を入れ検査結果のデーターを持って行くことになる。
その病院でもやはり本人には納得いく見解は聞くことはできなかったようだ。先生はデーター
を見て「何にも心配することはありません。専門外で何とも言えないが過呼吸症候群でしょう。
特に薬はありません。発作の時は救急病院で出された精神安定剤を飲まれたらどうでしょう」
そんな風に言われたようである。女房は半ばがっかりした面持ちで私に報告した。

ネットで過換気症候群を調べてみると、原因は何らかの誘因により呼吸中枢(脳内にある)が
過剰に刺激され、呼吸を多くしすぎるため血中の二酸化炭素が減りすぎ、さらに呼吸が乱れ
苦しくなるというもの。過呼吸状態になると、血中の酸素濃度は普通以上に高くなるが、
本人は空気が吸い込めないような苦しさを強く感じる。処置は紙袋を口にあて、吐いた空気を
再度吸い込むという行為をくり返し、血中の二酸化炭素濃度をあげる方法が一般的らしい。
「なんだ、スーパーの紙袋一つで治るのではないか」こちらの方ががっかりである。
最初に行った救急病院で出された安定剤を飲んでいればこんな大騒ぎにはならなかった。
人の意見は聞かず勝手に判断し周りを巻き込んで大騒ぎする。こんな事態は日常茶飯事。
私は何十年のことだから、巻き込まれるのは嫌で遠目から、しらーっと見ていることになる。
それが女房には不満なのだろう。それが女房には愛情の欠如に見えるのだろう。それが
彼女にとっての夫婦のあり方に反することだと思うのであろう。多分そうであろう。

その繰り返しが、結果として女房との距離を広げることになり、夫婦仲が悪くなる原因である。
これでも私が悪いのか?努力が足らないのであろうか?愛情が欠如しているのであろうか?
今は「勝手にしたら」それがまぎれもなく私の女房への気持ちである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿