先日テレビニュースを見ていたら、黒のコート白のマフラーにソフト帽を斜に被り、モスクワで開かれるG20へ向かう麻生財務大臣が写っていた。思わず「何を気取っているんだよ」と思ってしまう。あんのじょう外国メディアから、「マフィアの会合に出られるのですか?」と、きついジョークを飛ばされたようである。まあ本人が良いと思えばそれでいいのだろうが、私には少し違和感を感じるのである。
昭和の20年代か30年代だろうか、私の父も通勤には必ずソフト帽を被って出かけていたように思う。大人になればネクタイと同じように帽子を被る、これが社会全体のスタイルのようになっていたのだろう。そして当時見ていた洋画(西部劇はカーボイハットも含め)に出てくる主人公はほとんど格好よく帽子を被っていたように思う。そんな時代からいつの間にか無帽が当たり前になってきた。当然我々が社会に出て行った昭和40年代からは帽子を被っている人は皆無になった。
最近街の中でも帽子を被った男性を見かけることが多くなった。一つは薄毛を隠すために被る帽子、一つが今のトレンドなのか若者が被る帽子、もう一つが年配者が昔のファッションに憧れて被る帽子である。ソフト帽などを被っている人は、麻生財務大臣ではないが基本的におしゃれな男性なのであろう。胸にチーフを覗かせ喫茶店でも食事の場でも帽子を取らない。「どうだおしゃれだろう」、「どうだカッコいいだろう」、そんなオーラを醸し出している。
このオールドファッションは私にとっては違和感が強い。もともとセンスの無い私が言うのはおかしいのだが、ただ目立つだけが狙いのおしゃれのように思うのである。私のおしゃれ感は、「センスが良い」と思わせるのが「おしゃれ」のように思うのである。清潔感、色のコーディネイト、着こなし、そして調和、そんなものトータルを考えてこそおしゃれなのだろう。昔見た洋画でゲーリークーパーやクラークゲーブルのように背が高く顔の小さい外人には似合うが、背が低く顔のデカイ日本人には帽子は似合わないように思う。ただ昔のオールドファッションの憧れから帽子を被るのでは、ただただ違和感だけが目立ってしまう。
昭和の20年代か30年代だろうか、私の父も通勤には必ずソフト帽を被って出かけていたように思う。大人になればネクタイと同じように帽子を被る、これが社会全体のスタイルのようになっていたのだろう。そして当時見ていた洋画(西部劇はカーボイハットも含め)に出てくる主人公はほとんど格好よく帽子を被っていたように思う。そんな時代からいつの間にか無帽が当たり前になってきた。当然我々が社会に出て行った昭和40年代からは帽子を被っている人は皆無になった。
最近街の中でも帽子を被った男性を見かけることが多くなった。一つは薄毛を隠すために被る帽子、一つが今のトレンドなのか若者が被る帽子、もう一つが年配者が昔のファッションに憧れて被る帽子である。ソフト帽などを被っている人は、麻生財務大臣ではないが基本的におしゃれな男性なのであろう。胸にチーフを覗かせ喫茶店でも食事の場でも帽子を取らない。「どうだおしゃれだろう」、「どうだカッコいいだろう」、そんなオーラを醸し出している。
このオールドファッションは私にとっては違和感が強い。もともとセンスの無い私が言うのはおかしいのだが、ただ目立つだけが狙いのおしゃれのように思うのである。私のおしゃれ感は、「センスが良い」と思わせるのが「おしゃれ」のように思うのである。清潔感、色のコーディネイト、着こなし、そして調和、そんなものトータルを考えてこそおしゃれなのだろう。昔見た洋画でゲーリークーパーやクラークゲーブルのように背が高く顔の小さい外人には似合うが、背が低く顔のデカイ日本人には帽子は似合わないように思う。ただ昔のオールドファッションの憧れから帽子を被るのでは、ただただ違和感だけが目立ってしまう。
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