8日(日曜)の早朝、アルゼンチン・ブエノスアイレスから東京オリンピック開催の決定がもたらされた。日曜なのに新聞は号外を配り、TVではオリンピックの特番が目立っていた。政府も日銀も何とか日本の景気を持ち上げようとしているとき、日本での開催は絶好のカンフル注射の役割を果たしてくれるのかもしれない。
今から49年前(1964年)の東京オリンピック、そのとき私はまだ学生であった。当時は田舎の農家の8畳一間に下宿していた。新聞も購読せず部屋にはテレビもなかったから、ラジオで競技の結果を聞くくらいであった。オリンピックは遠く離れた東京での出来事、自分の中では世間で言われたほど、盛り上がった気分ではなかったように思う。このオリンピックで唯一記憶に残っているのは、市川崑監督で制作された「東京オリンピック」の映画を見たことである。映画の最初に、東京のあちこちで行われていた競技場や高速道路の工事シーンがあった。大きな鉄球のハンマーが古い建物を打ち壊していく。古い家やビルが消え新しい東京に生まれ変わる。工事現場の騒音と舞い上がるホコリから殺伐とした印象を受けことを思いだす。もう一つは、マラソンで優勝したアベベの姿である。極端にアップされた横顔、それをカメラは執拗に追っていく。彼の褐色の肌から流れ落ちる汗、スローモーションで写したアベベの表情と重ねて、荒い息づかいの音が印象に残っている。この映画で時の担当大臣(河野一郎)が、「記録性をまったく無視したひどい映画だ」と発言したことで物議を醸し出した。オリンピック映画は芸術作品で良いのか、記録映画であるべきなのかで喧々諤々の議論になり、後にフィルムを編集し直して記録映画判も作られたという記憶がある。
東京オリンピック開催まで7年である。その間に全ての準備を整えなくてはいけない。考えてみるとこの7年と言う時間、オリンピックと言う大イベントを準備するのに絶妙な期間のように思えてくる。10年となると少し遠くて現実味が乏しくなる。しかし3年や5年では長期的な視点に立って事を行うには少し短い気がする。7年という期間は何か物事を変化させるのに最適な時間なのではないだろうか。そして人もまたそうなのではないだろうかと思ってみる。養命酒のコマーシャルに、「東洋医学の文献に、女は7の倍数、男は8の倍数で体調に変わり目が訪れる」というのがある。今会社(親会社)にいる若者は25歳、彼は7年後に32歳で、ひょっとすれば結婚して子供がいるかもしれない。35歳の女子社員は42歳で中年真っ只中である。50歳の男性社員は57歳で退職が間近に迫っている。果たして彼らは今の環境のままでいることができるのだろうか?、やはり何らか変化は起こらざるを得ないだろうと思う。7年間と言う月日はその人の様相をガラリと変えてしまうに充分な時間でもあるのだろう。
さて7年後、この私はすでに後期高齢者である。今やっている個人会社を畳んで自宅で孤独な生活を送っているだろう。果たして健康を保っているだろうか?、女房はどうだろう?子供達はどこに住んでいるだろうか?孫は何人いるだろうか?、7年と言うスパンで見ると私の周りの環境も、私自身も大きく変わっている時間なのかもしれない。天災や事故など想定外のことが起こるかもしれない。今の延長線上で考えられること、そして努力すれば変わりうることもあるだろう。先を見つめれば見つめるほど不確かになる自分の人生だが、しかし7年後は確実に東京でオリンピックが開催されている。深い海に白い板を沈めて透明度を測るように、今回のオリンピック開催は我が人生の時間軸の目安になってくれるように思う。
さてオリンピックが開催されている2020年、私はどんな状況が好ましいかと考えてみる。まず健康だけは維持しておきたい。4つ、5つぐらいの趣味は持っておきたい。そして、サークル、OB会、同窓会などの集まり、SMSやメール、年賀状などコミュニケーションは億劫がらず、ネットワークはできるだけ維持しておきたい。生活のリズムは崩さず、弱気にならず、品格は保ち、かくしゃくとしていたいものである。そのためにはオリンピックの準備と同じように、日々の積算を欠かすことはできないのであろう。
今から49年前(1964年)の東京オリンピック、そのとき私はまだ学生であった。当時は田舎の農家の8畳一間に下宿していた。新聞も購読せず部屋にはテレビもなかったから、ラジオで競技の結果を聞くくらいであった。オリンピックは遠く離れた東京での出来事、自分の中では世間で言われたほど、盛り上がった気分ではなかったように思う。このオリンピックで唯一記憶に残っているのは、市川崑監督で制作された「東京オリンピック」の映画を見たことである。映画の最初に、東京のあちこちで行われていた競技場や高速道路の工事シーンがあった。大きな鉄球のハンマーが古い建物を打ち壊していく。古い家やビルが消え新しい東京に生まれ変わる。工事現場の騒音と舞い上がるホコリから殺伐とした印象を受けことを思いだす。もう一つは、マラソンで優勝したアベベの姿である。極端にアップされた横顔、それをカメラは執拗に追っていく。彼の褐色の肌から流れ落ちる汗、スローモーションで写したアベベの表情と重ねて、荒い息づかいの音が印象に残っている。この映画で時の担当大臣(河野一郎)が、「記録性をまったく無視したひどい映画だ」と発言したことで物議を醸し出した。オリンピック映画は芸術作品で良いのか、記録映画であるべきなのかで喧々諤々の議論になり、後にフィルムを編集し直して記録映画判も作られたという記憶がある。
東京オリンピック開催まで7年である。その間に全ての準備を整えなくてはいけない。考えてみるとこの7年と言う時間、オリンピックと言う大イベントを準備するのに絶妙な期間のように思えてくる。10年となると少し遠くて現実味が乏しくなる。しかし3年や5年では長期的な視点に立って事を行うには少し短い気がする。7年という期間は何か物事を変化させるのに最適な時間なのではないだろうか。そして人もまたそうなのではないだろうかと思ってみる。養命酒のコマーシャルに、「東洋医学の文献に、女は7の倍数、男は8の倍数で体調に変わり目が訪れる」というのがある。今会社(親会社)にいる若者は25歳、彼は7年後に32歳で、ひょっとすれば結婚して子供がいるかもしれない。35歳の女子社員は42歳で中年真っ只中である。50歳の男性社員は57歳で退職が間近に迫っている。果たして彼らは今の環境のままでいることができるのだろうか?、やはり何らか変化は起こらざるを得ないだろうと思う。7年間と言う月日はその人の様相をガラリと変えてしまうに充分な時間でもあるのだろう。
さて7年後、この私はすでに後期高齢者である。今やっている個人会社を畳んで自宅で孤独な生活を送っているだろう。果たして健康を保っているだろうか?、女房はどうだろう?子供達はどこに住んでいるだろうか?孫は何人いるだろうか?、7年と言うスパンで見ると私の周りの環境も、私自身も大きく変わっている時間なのかもしれない。天災や事故など想定外のことが起こるかもしれない。今の延長線上で考えられること、そして努力すれば変わりうることもあるだろう。先を見つめれば見つめるほど不確かになる自分の人生だが、しかし7年後は確実に東京でオリンピックが開催されている。深い海に白い板を沈めて透明度を測るように、今回のオリンピック開催は我が人生の時間軸の目安になってくれるように思う。
さてオリンピックが開催されている2020年、私はどんな状況が好ましいかと考えてみる。まず健康だけは維持しておきたい。4つ、5つぐらいの趣味は持っておきたい。そして、サークル、OB会、同窓会などの集まり、SMSやメール、年賀状などコミュニケーションは億劫がらず、ネットワークはできるだけ維持しておきたい。生活のリズムは崩さず、弱気にならず、品格は保ち、かくしゃくとしていたいものである。そのためにはオリンピックの準備と同じように、日々の積算を欠かすことはできないのであろう。
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