7月の初め大学の同期の同窓会を9月に開催するとの葉書をもらう。私の出身大学は地方の単科大学で、1学年は4学部だけで、学生数は学年全体でも180名という小規模な学校であった。私の所属した学部も50名、その学友が4年間を共にしたわけだから、当時は出席番号順に全員の名前を全員が覚えていた。しかしあれから50年、当時の記憶の糸を手繰っても途中でプツプツと切れてしまい、すべてがおぼろげである。8年前の60歳の頃、「みんなが退職の時期になり、これが今生の別れになるだろうから」ということで京都に集まったことがある。そのときは50名中の30名近くが集まったと思う。それから8年、今回は学校のある地元での開催である。「さあ、どうしよう?」、積極的に参加する気分にもなれず、出欠の返信葉書も出さずに、いつの間にか忘れていた。
学友の中で唯一メールをやり取りをしている友人がいる。彼から、「参加するのだろう?会えるのを楽しみにしているから・・・」というメールをもらう。「そうだ自分のスタンスを決めなければいけない」、しかしどう考えても気持ちが乗らない。そして結局は参加しない旨を友人に返信した。先週その彼から同窓会の時の集合写真をメールで送ってきてくれた。その写真を見ても名前を思い出せるのが6~7人、学生時代の記憶までさかのぼれるのが10名ぐらいである。さあ、この席に自分が参加したらどんな風に感じたのだろう? そんなことを考えながら友人にお礼のメールを書いた。
○○さん
返信が遅れました。同期会の写真ありがとうございました。
写真を見ても、なんとか思い出だせるのは10名ぐらいでしょうか?
その人たちとは以前に何度か会っていたから、時間による変化がつながります。
しかし他の人達は面影はあるものの、「さて誰だったか?」と学生時代とつながりません。
多分直接会って何時間か話したとしても、思い出さないかも知れませんね。
皆、頭は白くなり、脂肪が溜まり、精悍さを失い、穏やかな顔の好々爺という感じです。
写真を見つめると、私にとっては懐かしさを感じるというより、
忘れていた自分の時間の経過を見せ付けられる思いで、唖然としてしまいます。
あれから50年の時間が経過してしまったのだ。まだ若いつもりでいたのに、・・・・・
自分では曖昧にしていたものが、白日の下に晒されたような気分になるものです。
写真の中で○○さんが一番若く見えますね。
はつらつとした感じで学生時代とあまり印象が変わらないからでしょう。
もう一人、松井さんの印象も変わりませんね。しかし病後だからすっかり痩せています。
学校を出て、それぞれが社会の中で、一生懸命に生きて来たはずです。
サラリーマンで転勤を繰り返したり、転職を繰り返したり、会社を興して独立した人も、
大きな手術をした人、すでに鬼籍に入った人、自殺した人もいると聞いたことがあります。
それぞれに紆余曲折があって、それぞれに歴史があって、皆今に至っているわけです。
しかし、私はまだ皆さんのように、次の人生へ、というステップが踏めないでいるのです。
サラリーマンであれば、ある年齢で強制終了させられてしまうのですが、
一人でやっていると、その終了時期は自らが決めなければいけません。
会社が立ちゆかなくなれば終わりなのですが、そうでなければなかなか踏ん切りが付かず、
「あと少し、あと少し」と、ずるずると伸びていってしまうものです。
せっかく貴方からもお誘いを受けたのに、出席しなかったのには自分なりの理由がありました。
一つは日程が平日だったためです。一人でやっているとルーチンに動いている仕事があって、
全体としては暇なのですが、なかなか平日の2日間を空けられないものなのです。
もう一つが何十年も会っていない仲間と昔を思い出して懐かしむことが億劫だったのです。
決して、酒を酌み交わし昔の仲間と語り明かす喜びを軽視しているのではありません。
旧交を暖めておくことの大切さはこの歳になれば身に染みて分かります。
こちらでは昔の会社の同僚や仲間とは意識的に会うようにしています。
それは私にとっての老後に備えて、ネットワークのメンテナンスのようなものなのです。
しかし、30年も40年も会っていないと、私の記憶の中から学友のデーターが消失しています。
そんな状態で昔の仲間と話題を探りながら話すのは、全く知らない人と話すより苦痛なのです。
懐かしさとは、過去を思い出して心引かれること、ということのようですが、
私の中での懐かしさは、どちらかと言うと人ではなく、そのときの情景にあるように思います。
同じ費用を使って懐かしさを味わいたいと思うときは、一人で学校を訪れて思い出の建物や
毎日通った通学路、近所にあった神社仏閣、そして海や山や田圃など私を取り巻いていた
空気感を思い出しながら、カメラをもって歩いて見たいと思うのです。
私は入学した時、下宿せずに学生寮に入りました。
寮は1年生と2年生が主体で、同部屋の8人は学年も学部もばらばらでした。
しかし寮生活で寝食を共にするうちに、学年や学部を横断して仲良くなってゆくものです。
夜、海に泳ぎにいったり、川にうなぎを釣りにいったり、休みには一緒に山にも登りました。
寮を出てからもその仲間とは親しく、一緒に映画を観たり、レンターカーを借り合コンをしたり、
(当時は合コンとは言わず、合ハイと言っていように思う。合同ハイキングの略である。)
夏休みには彼らの実家を訪ねて、戸畑や鳥取や広島や赤穂へ行ったものです。
そんなことから、代返もカンニングも気心知れた彼らと組んでやっていたように思います。
元々不器用ですから、教室で一緒になるだけでは同期生とは親しくなれませんでした。
授業の合間も皆の話を聞いているだけで、会話の中に入っていけなかったように思います。
そんな中でも、マンボ楽団に誘ってくれた○○さん、柔道部で一緒だった松尾さん、
一緒にギターを習いに行き、卒論で一緒だった松井さんは私の中では特別な存在です。
2年後は貴方が幹事で名古屋で開催とのこと、是非出席させていただきたいと思います。
その時は私はすでに70歳になっています。それでもまだ会社にしがみついているのか?
それとも会社をたたみ、リタイヤして暇をもてあましているのか?自分でも分かりません。
自分の人生でありながら、先が見えずその日その日を暮らしているのが現状です。
果たして皆はどんな風な心境で暮らしていっているのか?そのとき聞いてみたいものです。
それまでは、お互い健康に留意して元気な体で再会したいものですね。
学友の中で唯一メールをやり取りをしている友人がいる。彼から、「参加するのだろう?会えるのを楽しみにしているから・・・」というメールをもらう。「そうだ自分のスタンスを決めなければいけない」、しかしどう考えても気持ちが乗らない。そして結局は参加しない旨を友人に返信した。先週その彼から同窓会の時の集合写真をメールで送ってきてくれた。その写真を見ても名前を思い出せるのが6~7人、学生時代の記憶までさかのぼれるのが10名ぐらいである。さあ、この席に自分が参加したらどんな風に感じたのだろう? そんなことを考えながら友人にお礼のメールを書いた。
○○さん
返信が遅れました。同期会の写真ありがとうございました。
写真を見ても、なんとか思い出だせるのは10名ぐらいでしょうか?
その人たちとは以前に何度か会っていたから、時間による変化がつながります。
しかし他の人達は面影はあるものの、「さて誰だったか?」と学生時代とつながりません。
多分直接会って何時間か話したとしても、思い出さないかも知れませんね。
皆、頭は白くなり、脂肪が溜まり、精悍さを失い、穏やかな顔の好々爺という感じです。
写真を見つめると、私にとっては懐かしさを感じるというより、
忘れていた自分の時間の経過を見せ付けられる思いで、唖然としてしまいます。
あれから50年の時間が経過してしまったのだ。まだ若いつもりでいたのに、・・・・・
自分では曖昧にしていたものが、白日の下に晒されたような気分になるものです。
写真の中で○○さんが一番若く見えますね。
はつらつとした感じで学生時代とあまり印象が変わらないからでしょう。
もう一人、松井さんの印象も変わりませんね。しかし病後だからすっかり痩せています。
学校を出て、それぞれが社会の中で、一生懸命に生きて来たはずです。
サラリーマンで転勤を繰り返したり、転職を繰り返したり、会社を興して独立した人も、
大きな手術をした人、すでに鬼籍に入った人、自殺した人もいると聞いたことがあります。
それぞれに紆余曲折があって、それぞれに歴史があって、皆今に至っているわけです。
しかし、私はまだ皆さんのように、次の人生へ、というステップが踏めないでいるのです。
サラリーマンであれば、ある年齢で強制終了させられてしまうのですが、
一人でやっていると、その終了時期は自らが決めなければいけません。
会社が立ちゆかなくなれば終わりなのですが、そうでなければなかなか踏ん切りが付かず、
「あと少し、あと少し」と、ずるずると伸びていってしまうものです。
せっかく貴方からもお誘いを受けたのに、出席しなかったのには自分なりの理由がありました。
一つは日程が平日だったためです。一人でやっているとルーチンに動いている仕事があって、
全体としては暇なのですが、なかなか平日の2日間を空けられないものなのです。
もう一つが何十年も会っていない仲間と昔を思い出して懐かしむことが億劫だったのです。
決して、酒を酌み交わし昔の仲間と語り明かす喜びを軽視しているのではありません。
旧交を暖めておくことの大切さはこの歳になれば身に染みて分かります。
こちらでは昔の会社の同僚や仲間とは意識的に会うようにしています。
それは私にとっての老後に備えて、ネットワークのメンテナンスのようなものなのです。
しかし、30年も40年も会っていないと、私の記憶の中から学友のデーターが消失しています。
そんな状態で昔の仲間と話題を探りながら話すのは、全く知らない人と話すより苦痛なのです。
懐かしさとは、過去を思い出して心引かれること、ということのようですが、
私の中での懐かしさは、どちらかと言うと人ではなく、そのときの情景にあるように思います。
同じ費用を使って懐かしさを味わいたいと思うときは、一人で学校を訪れて思い出の建物や
毎日通った通学路、近所にあった神社仏閣、そして海や山や田圃など私を取り巻いていた
空気感を思い出しながら、カメラをもって歩いて見たいと思うのです。
私は入学した時、下宿せずに学生寮に入りました。
寮は1年生と2年生が主体で、同部屋の8人は学年も学部もばらばらでした。
しかし寮生活で寝食を共にするうちに、学年や学部を横断して仲良くなってゆくものです。
夜、海に泳ぎにいったり、川にうなぎを釣りにいったり、休みには一緒に山にも登りました。
寮を出てからもその仲間とは親しく、一緒に映画を観たり、レンターカーを借り合コンをしたり、
(当時は合コンとは言わず、合ハイと言っていように思う。合同ハイキングの略である。)
夏休みには彼らの実家を訪ねて、戸畑や鳥取や広島や赤穂へ行ったものです。
そんなことから、代返もカンニングも気心知れた彼らと組んでやっていたように思います。
元々不器用ですから、教室で一緒になるだけでは同期生とは親しくなれませんでした。
授業の合間も皆の話を聞いているだけで、会話の中に入っていけなかったように思います。
そんな中でも、マンボ楽団に誘ってくれた○○さん、柔道部で一緒だった松尾さん、
一緒にギターを習いに行き、卒論で一緒だった松井さんは私の中では特別な存在です。
2年後は貴方が幹事で名古屋で開催とのこと、是非出席させていただきたいと思います。
その時は私はすでに70歳になっています。それでもまだ会社にしがみついているのか?
それとも会社をたたみ、リタイヤして暇をもてあましているのか?自分でも分かりません。
自分の人生でありながら、先が見えずその日その日を暮らしているのが現状です。
果たして皆はどんな風な心境で暮らしていっているのか?そのとき聞いてみたいものです。
それまでは、お互い健康に留意して元気な体で再会したいものですね。
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