11月17日(金) 天気=曇り後晴れ
08:25三国トンネル新潟側出口駐車場→ 08:56~90:00三国峠→ 09:08~16三国山下→ 09:25三国峠→ 09:51~57長岡藩士遭難の墓→ 10:48~11:28大般若塚→ 12:08~18唐沢山→ 12:56~13:05大般若塚→ 13:58旧三国街道永井宿入口
上越県境の三国峠を越える旧三国街道は、新潟と関東を結ぶ昔からの街道だ。峠から南の群馬側の道はまだ歩いた事が無いので、いつもの山仲間達と一緒に訪れてみた。
早朝2台の車に分乗し、関越道を北上する。月夜野インターで高速を降りると国道17号を三国峠へと車を走らせる。1台の車は下山口である永井宿の国道脇に残置し、もう1台は三国トンネル新潟側出口の駐車場に停める。
AM8時半前に三国トンネル出口から峠へと出発する。遅めの紅葉見物のつもりで来たが、道沿いは薄雪が被り雪見山行となった。身体が汗ばむ程になった頃、石の鳥居が建つ三国峠に着いた。
薄く雪を被った三国峠への道
三国峠
峠から東に聳える三国山(1636m)へ往復するつもりだったが、登山道の木製階段に雪が付着し、スリップが怖くて少し登った所で行くのを諦めた。しかしそこから眺める霧氷の山々は中々の絶景だった。峠に戻ると永井宿へ向って出発する。群馬側の旧三国街道は概ね山腹を巻く緩やかな道で所々には沢水も流れ、昔の人の知恵と工夫だろうか大変歩き易いコース取りがされている。
雪を被った木製階段の登山道
この地点で引き返す。
三国峠方面
永井宿方面
階段わきを慎重に降る
永井宿への旧三国街道
沢を渡る
又街道沿いには石地蔵や石碑、お墓等数多くの旧跡が遺されており、それを見物しながら歩くのも中々面白い。峠から30分くらいの地点には「長岡藩士雪崩遭難の碑」というのがあり、何でも冬の二月に江戸から囚人を長岡藩へ移送中に、ここで雪崩に遭い護送した藩士は全員死亡、囚人と荷役人だけが生き残ったという話だ。
長岡藩史雪崩遭難の碑
遭難碑の先にあった東屋とトイレ
道半ばで行き倒れとなった旅人の墓であろうか?
別の地点の案内板では、「殿様の参勤交代時、従う家来衆だけでも480名、その他にも数多くの荷役人や馬、従者等が従って峠を越えた。」という説明があり、江戸時代この山道を歩いた盛大な大名行列絵巻を夢想すると何だかワクワクする。
そんな由緒ある道だが、今年の強風台風のせいだろうか時折倒木が道を塞ぎ自然歩道なのに整備状況はあまり良くない。峠から約1時間半で法師温泉から猿ヶ京温泉に至る山道が交差する大般若塚に着いた。ここが峠から永井宿までの中間地点になる。
大般若塚(石塔の奥が猿ケ峡温泉へ向かう道)
道を塞ぐ倒木
猪のヌタ場かな?
幕末前後の「戊辰の役」では、ここは官軍と幕府軍の戦場となり多くの犠牲者が出たそうだ、死者の霊を弔う為に大きな石塔が建立されている。ここから永井宿までは1時間程の歩きで着いてしまう。それじゃ物足りないと健脚揃いのメンバーからクレームがあり、渋々ついでにといった感じで猿ヶ京温泉へ向かう道の途中にある唐沢山を往復する事にする。
唐沢山へ向かう樹林の道
静かな樹林の道を50分程歩いて着いた唐沢山(1243m)は、疎林越しに新雪を抱いた谷川連峰が望まれ、期待しなかった割には中々趣のある静寂の山頂で、ワザワザ立寄っただけの甲斐があった。
唐沢山山頂
山頂から新雪の谷川連峰
同じ道を再び大般若塚まで戻ると、永井宿へ向けて出発する。永井宿への道は何処までも緩やかな降りが続き、脚が勝手に進んで行くような感じだ。降るにつれ国道17号を行き交う車の騒音がだんだん大きくなり、右下に国道が垣間見えるとやがて永井集落傍の国道17号に降立った。
永井宿へ緩やかに降る道
街道から国道17号に合流
下山口に停めてあった車で三国トンネルに駐車していた車を回収し、全員が車に乗ると、猿ヶ京温泉のまんてん星の湯へ向かう。ここは赤谷湖を望む日帰り温泉で料金は3時間で670円、売店やレストラン、広い休憩室も併設した立派で快適な施設だった。
まんてん星の湯から望む赤谷湖
山慣れた今回のメンバーには少々物足らなかったかも知れないが、新雪の谷川連峰や霧氷、街道筋の旧跡等、天気に恵まれた本日の山行、見所満載でけっこう充実した陽だまりハイクであったと思う。果たして参加した皆さんはご意見はどうであろうか?
尚オマケの情報だが、現在三国トンネルは新たな新トンネルを建設中で、これが完成すると関東から苗場スキー場方面へのアクセスが大幅に改善されるだろう。