monologue
夜明けに向けて
 



1であることの意味や、1である以前の数字にこだわる者には、
 果てのない薄闇が与えられるだろう。
 門は、もうじき開けられるのだから・・・・・・
(92/08/30ARION これから生きる者達へ)


この部分に関連すると思われる情報が「光の黙示録」にある。


太陽はエール 三、四、三
月はミューア 三、四、三
エールとミューアで 二〇
最高神が 一〇
一〇を分けた二〇であれば均衡状態
(今はそうでは無いらしい)~~~~~~~~
今 現在の数については 教えて貰っていません


この中の「最高神が 一〇」が「1であることの意味や、1である以前の数字にこだわる」というのに連動しているようだ。
「一〇を分けた二〇であれば」という表現の不可解さ。
一〇を分けるとき、われわれは五と五に分ける。マーケットで一〇円玉を分けてくれと言っても二〇円にしてくれることはない。鋏で切られても困るだけだ。すなわち、一〇は十のことではない。
(今はそうでは無いらしい)ということは、その「一〇を分けた二〇で均衡状態」であった時代があったのである。その時代、最高神一〇は、一〇を分けた二〇であった。
それは古代エジプトで、太陽神RA(ラー)を逆読みして(エール)と、月神AUM(オーム)を(ミューア)と呼んだころであろう。
「エールとミューアで 二〇」というのは二十ではなく二つの○ということ。最高神一〇は自身を二〇に分けて日読みツキヨミどちらも「三、四、三」の均衡状態を保っていた。
とにもかくにも最高神は漢字の「一」と「〇」で表される存在なのである。1と0でもないのか。薄闇はつづく…。



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