紀伊國屋文左衛門の元姓は五十嵐氏。名は文吉。幼名文平。俳号は別所千山。
なにか意味のありそうな名前である。
かれが名をあげ巨万の富を築くことになる紀文伝説プロジェクトに裏から関与したのはだれかを探ろう。
紀文伝説は、陰暦の11月8日に行われる鍛治、鋳物の商売繁盛を祈願する「鞴(ふいご)祭り」にばら撒いて振る舞うミカンが嵐で海路が閉ざされていたので当時江戸では不足して価格が高騰していたことに始まる。
そこで主人公、五十嵐文吉は蜜柑運搬を決意して蜜柑調達資金を稚日女尊や、絶世の美女、衣通姫を祀る玉津島明神の神官で舅の高松河内から借りて得る。
そして○に十のマークをつけた蜜柑船で嵐の海を艱難辛苦の末乗りきり運搬に成功したのである。
このプロジェクトには初めから嵐の神と鍛冶屋の神「金山彦」が大きくかかわっていたことがわかる。「金山彦」とは伊邪那美神(いざなみのかみ)が、火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)またの名を火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだときに陰部に火傷をしてそのときの排泄物から生まれた神、金山毘古神(かなやまひこのかみ)、金山比売神(かなやまひめのかみ)のことである。
このプロジェクトに裏から関与したのは、資金調達に働いた稚日女尊はイザナミの仮面のひとつであるし、暴風雨の神スサノオ、タタラの神金山彦ニギハヤヒ。かれらは三位一体となって紀州に祀られているがチームワークよくこんな形で陰で支えていたのだ。「一無信士」という墓碑銘、○に十のマーク、「千山」という俳号の「千」は十が回転する印。紀伊國屋文左衛門という人物はかれらの構築した傑作のひとつのようだ。実在性が疑われても伝説としては残り続ける。
fumio
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