monologue
夜明けに向けて
 




94/12/18 渦巻く陰謀の織り成す歴史をかい潜り、蘇る太古の力を血から血へ


古来、歴史は正当継承権によらず陰謀によって主権を握った者たちによって織りなされたのだが、このメッセージは明智光秀による信長暗殺と秀吉の仇討ちから天下平定の裏に渦巻いた陰謀を「織り成す」によって織田家と千「成」瓢箪の秀吉の関係を暗示している。本能寺の変後、豊臣秀吉は正親天皇の勅許を受け、船岡山を主君織田信長の廟所と定め、明治天皇が明治2年に建勲(たけいさお)神社を創建した。山全体が神体とされる船岡山は北緯35度2分8秒756東経135度44分40秒417に位置する標高、百十一メートルの山というよりは丘である。
 平安京造営時、桓武天皇は四神相応に基づき、北の玄武(船岡山)、南の朱雀(巨椋池)、東の青龍(鴨川)、西の白虎(山陰、山陽道)と考え、玄武である船岡山を基点として、南に御所(大内裏)を置き、そこから真南に朱雀大路を通して街造りした。以来、この地が日本の中心であり基点となった。
「船岡」を「船丘」とみれば「ふ(二)七(な)丘(九)である。
この図の中心におわす「キ」が「ふな」に囲まれているのはゆえなしとはしないだろう。
fumio





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )