monologue
夜明けに向けて
 



94/11/21 深く深く流れる血は、その流れる意味を知り、跡絶えることは無い

昨日、2006年06月08日の記事「太田田根子」にアクセスが集中していて驚いた。
なんで今頃と訝ったが 本人が意識せずとも 「深く深く流れる血は、その流れる意味を知り、跡絶えることは無く、その源流をたどろうとする。物部の源流である太田田根子の謎に子孫たちの意識が向いたらしい。
 そのなんだか不自然な名前は、崇神天皇の時代に災厄を治めるために天皇が斎戒沐浴して祈った夜の夢に大物主(ニギハヤヒ)が現れて「わが子、太田田根子(おおたたねこ)に祭らせよ、そうすれば治まって海外の国も伏する」というのでそれから、太田田根子に御諸山で大三輪の大神(大物主)を祭らせることになったという話にみられる。
この祭主、「太田田根子」という名前はニギハヤヒのマツリゴト「田田螺」を執り行う斎主にふさわしい名前であった。太田の神、ニギハヤヒの長男「サルタヒコ」は苗字をつけて漢字にすれば「太田申田彦」ということになる。「申」は「田」の縦棒が長いだけで実は「太田田日子」で「太田田根子」とそっくりではないか。かれらは「田田螺」の斎主であるからこの名を継いでいたのだ。「田田螺」とは十字と卍を重ねた「田」のマークを回転させて太古の力を蘇らせる儀式であった。
 ニギハヤヒの愛妻、御炊屋姫は「勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)として「たたら」を名前にもっていてニギハヤヒとともに大和を築き物部族の母として一族を率いた。「陀多良」とは「たたら」の法を授けられた司式(マスター・オブ・セレモニー)継承者を意味する名前であった。「太田田良」。これは木扁がつけば「太田田根」子。この名は個人名ではなく役職名であった。その子,、饒速日尊の末子、御歳姫(日本書紀は媛蹈鞴五十鈴媛、古事記では伊須気依姫 )は 受け継いだタタラの秘法によって神武(イワレヒコ)とともに日本建国を成し遂げたのであった。
現代の太田田根子は「田田螺」の回転を始めるだろう。
fumio







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )