monologue
夜明けに向けて
 



 1958年米国スタンフォード大学の文学創作プログラムに登録したケン・キージー(Ken Kesey )という名の優秀な学生がいた。
翌年かれはCIAの出資によりメンロ・パーク・ヴェテランズ病院( Menlo Park Veterans Hospital)で行われる「MKULTRAプロジェクト」という研究に参加した。
それはLSD,サイロシビン( psilocybin)メスカリン( mescaline)コケイン( ocaine)など精神に作用する薬の人への影響の研究であった。かれはその後、個人的にもモルモットを使って研究し1962年に『カッコーの巣の上で』 (One Flew Over the Cuckoo's Nest)という小説を発表した。小説はヒットし、かれはサンフランシスコへ移住した。そこでかれケンは知り合いのバンド、ワーロックス(Warlocks)後のグレィトフル・デッド(the Grateful Dead)と参加費1ドルで派手に塗ったバスで「アシッド・テスト(Acid Tests)」をしてまわった。LSDで人々の精神を拡張するのが目的だった。65年にビートルズのリンゴ・スターとLSDを一緒にとったのもケンだといわれている。そうするとあの「トゥマーロー・ネヴァー・ノウズ」 の幻惑的な音にもケンの影響があったともいえることになってしまう。

 そしてそれが1967年1月14日サンフラシスコ、ゴールデンゲート・パークの「Human be-in(ヒューマンビーイン」へとつながったのである。「愛と平和」というスローガンは何時の時代でも素晴らしいものだがかれらの手にしていた武器がドラッグと花とセックスであったのがおかしい。CIAが関与した研究から始まったドラッグカルチャー、全く体制を倒せるはずのない武器を手にして反体制を唱え当然のように消え去った運動。その裏にはやはり体制権力組織が動いていた。
fumio


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