2003年2月3日、ロサンジェルス、サンセット通りのクラブ「the House of Blues」でカクテル・ウエイトレス(ホステス)として働いている女優ラナ・クラークソン(Lana Clarkson)(当時40才)は60年代ポップ音楽の生ける伝説、プロデューサー、フィル・スペクター(現在69才)と出会った。かれはウェイトレス、キャシー・サリバン(Kathy Sullivan)とともに酩酊状態で到着して、家で一杯飲もう、と誘った。スペクターのリムジンのブラジル人運転手アダリアノ・デ・ソウザ(Adriano De Souza)の証言によればラナは初めかれの家に行くのに気が乗らないようだった。
リムジン運転手アダリアノ・デ・ソウザ氏が陪審団の前で「スペクターが"I think I killed somebody."と言った」と語ったのが重要証言となったのだが弁護側はかれは聞き違えたのだと反論した。興奮状態のブラジル人がアメリカ英語を正確に聞き取れたのかどうか。殺したのならもってまわった言い回しをせず単刀直入に"I killed her."と言うのが当たり前のように思われる。
気になるのは運転手ソウザ氏がエマージェンシーサービス(911番)に電話したとき "I think my boss killed somebody"と言ったということである。この文体は他者の行為のリポートとしては正しいと思われる。ところが「スペクターが"I think I killed somebody."と言った」というのはなにか腑に落ちない。当事者がそんな言い方をするのだろうか。ごまかすためにそう言ったのか。ソウザ氏のことば"I think my boss killed somebody"という構文とスペクターが言ったという"I think I killed somebody."の構文が同じであることにひっかかるのだ。ブラジル人で英語が不得手だから自分のことばも主人のことばも同じ構文で証言したのか。本当にスペクターが"I think I killed somebody."と言ったのなら、「あまり関わりの深くないだれかを殺したかもしれない」という意を伝えようとしたのだろう。