本能寺の変において、本能寺に近い妙覚寺に滞在していた信長(49才)の嫡男、信忠(26才)は、妙覚寺から二条城に移動して戦い自刃したとされる。信長が宣教師から譲り受けた黒人兵彌介(やすけ)も二条城で戦い、捕まり解放され行方不明となる。
この二条城は幕末には、最後の将軍、徳川慶喜が勝海舟と会談し、大政奉還を行う場所になる。わたしの少年時代、二条城の堀には鰻が棲んでいた。釣り堀ではないのに近所の悪ガキがよく釣りに行ってバケツに釣ったウナギを入れて帰ってきた。二条城は日本の歴史の変換点において重要な役割を果たした城だったが、京都市民にとってはやすらぎの空間になった。
fumio
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