京都の南北の通りは東大路から西大路までだが人々の生活の中心の通りとして「寺町、御幸町、麩屋町、富小路、柳馬場、堺町、高倉、間之町、東洞院、車屋町、烏丸、両替町、室町、衣棚、新町、釜座、西洞院、小川、油小路、醒ヶ井、堀川、葭屋町、猪熊、黒門、大宮、松屋町、日暮、智恵光院、浄福寺、千本」を「てら、ごこ、ふや、とみ、やなぎ、」と記憶した。なにかの品物を自転車やバイクなどで届ける時、東西の数え歌「姉さん六角」と合わせて口ずさんで走ったものだった。京都は碁盤の目に町作りがなされていたのでそれで目的地に行けた。今でも京都の人はラップのように口ずさんでいるのかも…。
fumio
| Trackback ( 0 )
|