京都の東西の通りの五条通りから南
「 ごじょう 五条通り
せった 雪駄屋町通り(現、楊梅通)
ちゃらちゃら 鍵屋町通り (現、的場通)
うおのたな 魚の棚通り (現、六条通併合)
ろくじょう 六条通り
さんてつ 三哲通り (現、塩小路通)
しちじょう 七条通り
はち 八条通り
くじょう 九条通り
じゅうじょう 十条通り」の渋川春海(算哲)に由来するといわれる三哲通が塩小路と名前が変えられたことも当時の為政者による 改竄 であった。出雲の系譜につながる春海は日向の呪い祟りを受けないために算を日向の数三に変えたが三哲の名前は残らず「四お小路」とされたのだった。それでわたしの幼少期にはもうだれも三哲通の名前は知らなかった。
京都の通りの名前にもその裏には為政者たちの目に見えぬ攻防があったのだ。京都にまつわる新曲を作っているとそんなことを思い知らされた。
fumio
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