monologue
夜明けに向けて
 

秘蹟  



西暦1637~8年の天草・島原の乱において、天草四郎(益田時貞)をリーダーとする一万3千の一揆軍が立てこもった原城に南蛮絵師山田右衛門作が描いた旗「綸子地著色聖体秘蹟図」が掲げられていた。
それは中央にキリストの血とされるワインを容れるゴブレット、その中にキリストの身体を示すパンの光輪、そして羅典十字架。その上に、「ユダヤ人の王ナザレのイエスJesus de Nazaré, Rei dos Judeus」の頭文字「JNRJ」と記し、翼を生やした二天使ルシフェルとミカエルが左右に侍り、旗の上部には、「LOVVAD・SEIAOSẨCTISSIM・ SACRAMENTO (最も貴き贄を讃え崇める)」と記されている。
fumio

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今にしてみれば、山田右衛門作は「「天に兆(しる)し顕れ木に卍(まんじ)呻(うな)り、野山に白旗立て諸人の頭(こうべ)にクルス立つ可く申し候。東西に雲の焼け必ずあるべし諸人の住む所皆焼け果つべし野も山も草も木も、皆、焼け申すべく之を書置く由申し候。」と口書で、のちの世に起こる第二次世界大戦において敗戦を認める白旗を立て十字架(クルス)を立てるように勧めている。原爆投下を天に兆(しる)し顕れと表現してその威力を十が回転する卍として表している。その原爆の爆発によって雲が焼け人の住む所も野も山も草も木も、皆すべて壊滅すると、予言して、これを書いて置くと警告していたのであった。島原の乱の時点ではのちの世のことなのでなんのことかわからなかっただろう。
fumio

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口書  


島原天草の乱のただひとりの生き残りとされる山田右衛門作は、1638年の乱の終息した時点で1945年8月9日の長崎原子爆弾投下を「「天に徴しあらわれ、木に卍呻り、東西に雲の焼け必ずあるべし、諸人の住む所、皆、焼け果つべし。野も山も草も木も、皆、焼け申すべき由申し候。」と口書で表現していたのであった。
fumio


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