その時、夜の目をした真珠の子供は「時」を知るだろう。
---ARION,O∴O---
天草・島原の乱において原城に立てこもった絵師山田右衛門作は、だひとり生き延びて、のちの世に起こる太平洋戦争の終結に向けての新型爆弾使用を回避するために「「天に兆(しる)し顕れ木に卍(まんじ)呻(うな)り、野山に白旗立て諸人の頭(こうべ)にクルス立つ可く申し候。東西に雲の焼け必ずあるべし諸人の住む所皆焼け果つべし野も山も草も木も、皆、焼け申すべく之を書置く由申し候。」と口書で述べて書き置かせて警告を発していたのだがその300年後にその「時」は実際に来てしまったのだ。8月6日に広島でピカドンと呼ばれる核爆弾が炸裂しておびただしい人々が一瞬にして消え去り影となった。そして8月9日には丸いのでファットマンという愛称で呼ばれた爆縮原子爆弾が長崎に投下されたのである。真珠の子供、右衛門作の胸に去来する思いは…。
fumio
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