sekiの徒然日記

旧布野村に週末帰農を始めて18年で遂に解散。今後は尾道からsekiの徒然日記として再スタート。

血圧のようです。 布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-20 18:13:12 | その他
   松坊主を切っただけの中途半端な松・・・・

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 昨日の蕎麦会から体がだるいやら熱っぽかったのですが、女房殿と風邪をひいたようだと話をしていると、「血圧が高いんじゃーないの、測ってみたの」と来た、早速測ってみると158の100程と少し高い。

 えーと・・・思い返してみるに、そう言えば少し血圧の飲み薬サボりぎみだったかも、さらに眠れなくて朝早くから起きているのが影響したか・・・いずれにしても風邪と勝手に思っていましたが、では無いようです。

 女房殿に指摘され、早速血圧の薬を飲んで昨夜はかなり早く寝たところ、今朝やはり5時前に目は覚めたのですが、体の熱っぽさやだるさは随分なくなってます、早速血圧を見ると145の96と少し下がってます、その後の日中も喉が痛くなるような兆候なし。

 やはり血圧そしてイライラも含めた寝不足が原因のよう、昨日蕎麦会で風邪薬を頂いたり、帰ってうがいして生姜湯とまた風邪薬飲んだのはいったい何と言いたくなりますが、体が少し楽になり一安心。

 日中はイライラせず、あまり動くまいと思っていたのですが、午前中お客様とお話したあと昼から庭に出て眺めていると、松の芽が伸び放題・・・見ると気になりだしまたまた剪定はじめました。

 しかし脚立の上での作業に腰がついていかず、治りかけている腰に響きそうなので1時間ほどで中断、松も中途半端に剪定しただけで余計に形は悪くなり思いつきの作業を反省。

 明日から布野ダッシュ村に帰還の予定ですが、まだ全く準備できてません、明日の朝起きて今日の体の調子なら準備を始めてスタート、不良なら延期。

 体と騙しあいをしながらの村長の行動・・・

鯛の浜焼き   布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-19 18:23:22 | その他
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 今日は福山そば打ち同好会の定例日、少し遅れて到着すると駐車場に止めきれない無いほどの盛況、それもそのはず14名もの参加者だ、世の中の蕎麦ブームと同じで随分会員さんも増え、熱心な人が集まりだした。

 ひとしきりワイワイ言いながら、夫々自分のそばを打った後は恒例の食事会、もちろんメインは打った蕎麦ですが今日は特別メニューが、何と大きな鯛の浜焼きがデーンと食卓の中央に。 (食べるに夢中で写真撮るの、また忘れてました)

 会員のKさんのご好意で頂いたもの、福山市内でケーキ屋さんを営まれるKさんですが、これまでも紅茶とかケーキとかの差し入れ、前回はさばの〆たものだったとか、そして今日は鯛の浜焼き、ありがたいことです。

 しかも鯛の浜焼き、今朝自分で作られての持参、やはり食べ物商売をされているからでしょう料理が上手、早速ほぐして全員で美味しく頂き、最後の骨についた身やこぼれ身を集めて、蕎麦湯を注いで鯛スープの出来上がり。

 これは女性軍の知恵ですが、結構美味しく頂きました、ホント人が沢山集まると多士済々、色んな知恵やら技を授かります、今日も勉強になりました。

 その蕎麦会の後、私は蕎麦を手土産に行政書士の民宅さん宅へ伺い、ひとしきりお話した後帰宅したのですが、汗ばんだり・体がだるい感じ、どうも風邪の前兆か、今朝蕎麦会に行った時からだるく、薬を頂いて飲んだのですが。

 明後日から布野ダッシュ村に帰還する予定なのですが、この調子ではどうなるのでしょう?

 腰痛が治りかけると風邪になりそうな、軟弱ものになった村長・・・・

久しぶりの陶芸  布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-18 18:54:33 | 器づくり
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 今日は昼から久しぶりの吉備焼き陶芸教室、5月の一週目は連休で休止となった関係からほぼ1ヶ月ぶりの教室、さっそく気になっていた風呂やキッチンの建物の見学。

 夫々忙しいことや棟梁の事故等もあり中断状態であったのですが、何とそれらしい形になりつつあります、聞けば先生がコツコツとされたとか、そのおかげですっかり大工の味を覚えられ、今や楽しくての感覚とか。

 れにしても、まだまだ天井・壁等の室内工事が続きますので、無理せずしましょうとお話ししたのですが、村長も腰痛が安定し家の方が落ち着いたらお手伝いしなくては。

 さて陶芸のほう、今日は午後5人と多かったのですが、私は轆轤でなく先般に引き続き手捻り、そうこの間 河豚やらカワハゲの漫画をダンボールに描き切り抜いた、型紙を活用してのカワハゲのお皿作り。

 カワハゲのお皿はまずまず思っていたイメージの出来なのですが、写真撮り忘れました、また、先生が板づくりで作られた大型の角皿を見たら、これが気にいってしまいました、縦25センチ・横40センチくらいの大皿、うーん次はこれだ。

 この大きさのお皿に刺身でも盛り付けると毎日宴会が出来ます、しかし焼き上げて先ほどのサイズですから元は2割アップとしても凄い大きさ、しかし手でたたくのでなく板に延ばす機械が先生のところにはありますので、何とかなるでしょう・・・・

 またまた、夢が広がった1日でした。

 さあ、明日は蕎麦の定例会。

薪ストーブライフ  布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-17 18:21:28 | その他
  

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 雑誌薪ストーブライフが届いた、3月の終わりに薪ストーブを楽しんでいらっしゃる、Yさんを訪ねて紹介して頂いた薪ストーブの専門誌。

 特殊な販売ルートのようで、書店には置いてなく薪ストーブの販売店等が主なよう、後は直接ネットか電話で注文、村長はネットで在庫のあるバックナンバー3.6.7.8号の4冊を注文、先週6.285円也を振り込むと届いた。

 斜めにザーッと見ながしただけの印象は、輸入品の高価な薪ストーブのオンパレードの感じ、しかし薪ストーブライフというだけあって、実際に設置されたオーナーの紹介を見ると、凝っているというか薪ストーブを楽しんでいらっしゃるのがよく分かる。

 機種の比較から、薪割り、煙突掃除まで薪ストーブは楽しめるようだ、しかし価格が高い、ダッチにせよバーモントにせよ本体に二重煙突・炉台で100万仕事だ、工事を入れるとさらに・・・・

 夢は膨らむ村長ですが、ここでうーんとなって固まってます、まぁ国産の薪ストーブもあるし、北広島では加治屋さんがストーブ作られてますので、あれこれ勉強して決断することになるでしょうが。

 もう一つ参考になっていることが、広島ブログに参加されている「薪ストーブ日記」をアップされている大工さん、この方のブログは実際に施工されること、そして使われいることも含め非常に参考になります。

 あれこれ悩みながら日にちは過ぎていきますが・・・・

 話は変わって、村長の腰痛は進んではいないのですが、直ってもなく鈍痛と足裏の痺れになやんでます、まぁ少し気を付けて行動すれば支障は無いのですが、薬もうそろそろ効いてもいいと思うのですが・・・

 もう一人母の方、今日は何と女房殿の指示に素直に従い、医者・病院の梯子したようです、ようですとは私がついていかなくても良かったとゆうこと、ボケの抑制の薬を頂いているO医院、先週から腰でお世話になっているT病院。

 滞りなく済ませて夕方には帰って来ました、調子もヨチヨチ歩きから少し進歩しているようです、こうなると先週のあの駄々はナンだったでしょう。

 村長は先週月曜日、布野ダッシュ村から呼び戻されたのに・・・・

爆笑  布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-16 18:02:40 | その他
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 随分腰のよくなった感じ?なので昼過ぎ起き上がり、庭で少しブラブラと作業でもやろうと着替えたところへ妹夫婦の訪問、きっとブログを見て母の様態や我ままぶりを見にきたのでしょう。

 その母との話はさておき、私の所に来て溜まっていた取るに足らない話を山ほど、おかげで爆笑の連続となり久しぶりに愉快な気分、そういえばこの1週間ほどは母と私の腰痛で笑うどころでなかったのですが。

 話題の中心は母の話もありますが、もっぱら自分達自信の老いとボケそして子供の話、夫々ボケの現象が出始め母のことも人事ではないのですが、自分はその前に他界している心配しなくていいとか、逆に最近どんどん体が悪くなっていくとか、言いたい放題。

 子供の話は家の借金のこと、妹の娘さんも新築するようで35年のローンとか、昨年私の次女がやはり35年ローンで建てたのですが、いずこも払い終わったら70才過ぎ、親子2代で借金払う感じ。

 どうしてそこまでして建つのか解らないとは我々の弁、しかしホント思います夫々嫁いでいて、そちらの両親の家もあるのに何で?、いずれその家が空き屋になるのだから借家に当面いれば、そうしないと日本中空き屋だらけになりそう・・・・

 そして、妹の亭主殿ともう人生の終わりが近いとお互い言いながら、何か面白くやることはないか・・・・と全く矛盾した話を繰り返すこと3時間。

 結局昼から庭での作業しませんでしたが、肩の凝らない話でお互いストレス解消。

 しかし座りぱっなしで、腰に鈍痛が再来。

閉門蟄居  布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-15 17:38:45 | その他
   信じるものには効く???

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 いゃー体がなまって動かなくなる感じ、腰痛治療のため一日中家に閉じ籠もってました、わずかに庭をウロウロしたのと隣のばぁさんの所にいったのを除き。

 その母にどうねーと聞くと、やはり片足が痛いそうだ、注射の効果はとうに切れているので薬だけでは、あまり聞かないようだ、来週また一騒ぎして病院にお連れすることになりそう。

 同じ腰痛ですが私の場合はかなりな常習性、昨日も夕方になって思いだしたことが、整体があまり効いて無いなーと考えていたところ、いつもの薬を思いだしました、E社の「ナボリンEB錠」9年ほど前からしびれがきた時飲んでました。

 早速、薬箱をひっくり返して探したところ3錠程残ってました、すぐ飲みましたが当然即効くわけではありません、今までの経験では3日間くらい飲んだら効いて来た感じ、ただ合わせて整体にも行ってますから、相乗効果か?

 いずれにしても、比較的軽い間にこの薬を飲むとしびれがなくなります、当然症状や人によって違いますが、効能を紹介しておきますと「抹消神経のキズによる肩こり、腰痛、手足のしびれの緩和」とあり。

 ・揉んでもよくならない肩こり、・ジーンとする腰痛、・ピリッとするしびれ感・・・に効果があるとか。

 今朝で、そのナボリンEB錠も切れたので女房殿に買って来て頂きました、金2500円なり。

 信じる者は救われる・・・・の心境の村長です。

今度は村長の腰  布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-14 18:00:18 | その他
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 な何と、今度は村長の腰の様子が変、布野ダッシュ村から帰還する少し前くらいから、腰が重く足が上がらないと感じていたのですが、昨日夕方には左足のかかとがしびれだし、そのことを女房殿に言うと。

 それはまた腰痛になったんでしょう明日にも整体に行んさいよ、動かれんようになるよ、と脅される始末、そうなんです、村長は20年ほど前ヘルニアで40日程入院し、その後何かあると腰が痛くなり足がしびれてくる・・・を繰り返してきたのでした。

 言われれば、持病の腰痛の復活??に間違いないようなので、早速今朝一番でいつものTカイロプラクテックへ、整体してもらった直後はいいのですが少したつと痛み・鈍さがでてきます、一度では効かないのです。

 帰って一旦おとなしくしていたのですが、新聞も読み終わるとじっとしておれず、庭に出てごそごそとしてしまい、結果夕方にはやはり昨日の状態に戻った感じ、うーんこれは少し寝転がっておくかーと反省。

 母がなんとか病院に行きだしたかと思えば今度は私、なかなか思うように行かないものです。

 明日はおとなしく蟄居します・・・

庭作業  布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-13 18:10:30 | その他
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 昨日の母の続き、夕方覗いて「どうなんねー」と聞くと、うん治ったようなと表情まで明るくなっている、まだ痛み止めが効いているだけじゃけーあんまりうごきんさんなー、といって置いたのですが。

 本日朝見ると、玄関の外まで新聞を取りに行っている、しかも玄関先をヨチヨチと歩いているではないか、まだ駄目でー転んだらどうするんねーと私、おまけに今日は病院にはいかんでーときた。

 今日は病院いかんでいいんでー、どうも私を牽制していたようだ、半ボケと思っていたら時折ピッとひらめくらしい、それでも今日は風があって寒いから中で寝りんさい、というと素直に聞いていただいた。

 それでも外をウロウロされて転ばれたら大変と、庭作業をしながら見守ることに、丁度10日程前切ったクスノキを輪切りにして薪にすることや、その生枯れの枝を焼く作業があり、1日無心の作業に没頭。

 没頭しすぎて、母が玄関から一度外にでたのは全く来が付かず後から女房殿に聞く始末、予定の作業はほとんど終わったのですが、チェンソーの燃料を追加したところ、エンジンがかからずガソリンの臭い。

 プラグにガソリンを被らせたのでしょう、ぱらしてプラグを乾燥すればいいのでしょうが、急ぐ輪切りでないことと横着根性が勝って、そのまま放置して明日にでも再度エンジン始動することに。

 過去の経験では1日投げておけばまたかかります、という横着で輪切り作業は少し残りましたが、まぁいいでしょう。

 明日からは仮の薪置き場を作ろうと思ってます、ここ半年くらいで計画性のない薪作りを相当やってしまい、あっちこっちに積み重ねて置いたのですがそろそろ考えなくては。

 あくまでも仮、仮の置き場・・・・どうなるんでしょう。

母やっと病院へ  布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-12 17:57:36 | その他
   ようやく筍とりの気分に・・・・

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 昨日一旦あきらめた母の病院行きですが、今朝起きるのが痛そうなので、腰やっぱり痛いんだろう?と聞くと素直に「うん」と来た、これは逃す手はないと痛め止めの注射うってもらおう楽になるから、これには黙っている しかし行かないとはのたまわない。

 これはこの手と感じ、女房殿を呼んで応援をたのむと共に、昨日同様 母というかバァさんが朝食をとる間説得に努める、しかし今日は病院とレントゲンという単語は使わないようにして。

 もっぱらお医者さんに行って痛み止めの注射を打ってもらおう、痛め止めの薬ももらえて楽になるから・・・これを繰り返した、昨日までの説得で「病院」「レントゲン」という単語を嫌がっているのが見えたから。

 病院、レントゲンはたいそうなものと考えているようなのだ、こちらも学習してこの手の単語を使わないようにしゃべって・・・結果1時間後しぶしぶ行く気になっていただいたが、これからもトイレと着替えでこ1時間。

 やっとの思いでT病院についたのは11時45分と午前の締め切り間際、まぁ逆に待ちがほとんど無く見て頂くことができた、それから痛め止めを打って、レントゲンを撮って、骨密度測定、ホットパック・電気治療と続いて。

 先生から診察結果が、やはり背骨が圧迫されて神経に触れているようだそれも4ヶ所、ただ圧迫骨折までにはなっていないとか、骨密度は90才にしてはいいほうだが、何せ年ですからこうゆうことはよくあるのだとか。

 当面1週間に一度通院してみて様子みて見ましょう・・・ということに、このまま歩けないようだと入院することになりますと脅されつつ。

 しかしホットしました、骨折ではないこととほぼ原因が解ったことで、しかし感謝すべきは女房殿、着替えにしても、病院内の付き添いにしても男はだめですねー、全て女房殿、自分の親でもないのによくやっていただけます、感謝。

 一安心した後の夕方、竹に成長した筍を鉈でバッサリ・バッサリ切り倒し侵略を防ぎました、その中でもまだ小さい筍収穫、夜の飲みのつまみに。

 布野ダッシュ村から急遽帰還して3日目、やっと一つ肩の荷が降りました。

 

あきらめ・・・・ 布野ダッシュ村尾道分村発

2010-05-11 18:23:50 | その他
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 今日も朝からもばぁさんの病院行きを説得、結論から言うと私が一旦あきらめることに、少し日数をおいていつも行く医者に行く際につれていくことに、そう だまし討ち?しか手は無いようです。

 バァさんの朝食をとる横で粘ること1時間、とにかくレントゲンだけでも撮ってもらおうに対し、そんなもん撮るようなことではない、何でいかにゃーいけのんかー、もうだいぶようなった、もう1・2日様子をみてみよう等々。

 昨日と同じやり取り、本人はだいぶ良くなったでと私の前をゆっくり歩いてみせる、立ち上がる時痛んだろう?と聞くと、それは少しは痛いがもうようなってきている、見ていると激痛は無いようなので、一旦そっとしておくことに。

 それにしても段々物事を聞いてくれなくなった、今年の秋には91才になろうとするのですから、あたり前と言えばあたり前なのですが、それでも寝たきりでもなく、耳は遠いがやり取りは多少の齟齬はあるにしても、理解できるので感謝しているのですが・・・・

 しかしポケの現象が進むことと、並行して言うことをなかなか聞いていただけないことが多々、自分の母がまさかこんな風に変わり、子供のようになっていくとは思ってもみませんでしたが。

 この日曜日は母の日でした、その日の中国新聞 天風録に紹介されていた、陶芸家岡上多寿子さんの詩画集、「本当につらかったのは下の世話や徘徊ではない、そんな母を認められずしかりつけたり手まであげたりした悔いや情けなさ・・・。」

 今その言葉が気持ちがよく解ります・・・、母にとって子供はいつまでも子供であると同じように、子供にとって母はいつまでも母、変わって行く母を認めたくない気持ちと同時に情けないと感じたり・・・

 皆が通っていく道なのでしょうが、理解と達観にはまだまだ時間がかかるよう・・・