( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49488889.html からの続き)
この作品では、しげきが軽度の痴呆症 ということもあり、
過剰なセリフは 一切ありません。
説明も最小限 (というより最低限) に留められ、観る者の想像力に 委ねられます。
森で二人が どしゃぶりの雨に襲われ、
鉄砲水が出た渓流を しげきが渡っていってしまう シーンがあります。
真千子は 「行かんといて!! 行かんといて~!!」 と泣き叫び、
うずくまって 動けなくなってしまいます。
その時 にわかに、
『あ、真千子は こうやって子供を亡くしたのか?』 と気付かされます。
映画冒頭の、真千子が元夫に 「なんで手を離したんや!?」 と
なじるられる場面が 思い浮かぶのです。
シーンは その一言だけで、何の説明も 回想もありません。
しかし 真千子の恐慌の姿に、彼女の悲しみの激しさが 伝わってきました。
そして しげきは真千子の叫びに応え、真千子の下へ 戻ってくるのです。
迫真の絶叫に、強く心を打たれたシーンでした。
また、夜に 発熱して震えるしげきを、真千子は 裸になって抱きしめ、
肌と肌を合わせて さすり続けます。
そんなできごとを 重ねていくうち、真千子としげきの間には、
介護士と痴呆症の患者,若者と老人,女と男という立場も超えた、
心と心の繋がりが 生まれていきます。
そして 真子の墓に 辿り着いたとき、しげきは癒しに包まれ、
真千子も 新たな生の希望を 感じていくのでした。
河瀬監督は、 「どうしたら遺される者、逝ってしまう者の 間にある
結び目を描く物語へ 昇華できるだろう」 と考えたそうです。
この作品は、生と死の繋がりや、生きる者同士の繋がりを 得ていくことによって、
魂の再生を描いた ドラマではないでしょうか。