「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

解離性障害、朝青龍が? 

2007年08月30日 12時59分06秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49772381.html からの続き)

 朝青龍が モンゴルに帰国する際、1ヶ月ぶりに その姿を公にしました。

 素人目に映像を見る限り 病気とは思えませんし、

 TVで 複数の精神科医 (町沢静夫,小田晋ほか) もそのように述べていました。

 昏迷状態なら 一人では歩けないと。

 朝青龍の診断名である 解離性障害は、

 大きなショックや トラウマなどによって生じるものです。

 例えば、強姦など 心身の危険が脅かされる体験をした、

 犯罪被害者にも起こる症状です。

 あまりにも恐ろしいできごとから 自分の意識を切り離すことによって、

 自分の精神を守ろうとするのです。

 そして、ボーダーの診断基準の一項目としても、

 アメリカ精神医学界の精神科診断基準 DSMに挙げられています。
 

 解離性障害には、次のような症状があります。

・感覚や感情の麻痺

 痛みや暑さなどを 感じなくなる。悲しくも嬉しくもない。

・現実感の喪失,離人感

 自分が今ここにいるのか 分からない。ベールをかけたようで 実感がない。

 自分が体から抜け出して、自分を見下ろしている。

・心因性健忘

 物理的な原因でない 記憶喪失。

・昏迷状態

 心因性のもうろう状態。

 発語や行動,刺激に対する反応が 減退・消失する。

・心因性遁走

 無意識で どこかへ行ってしまう。その間の記憶がない。

・夢中遊行

 いわゆる夢遊病。

[参考文献 :「犯罪被害者の心の傷」 小西聖子 (白水社)]
 

 朝青龍は 昏迷状態だと言われましたが、上記のように 異論が示されています。

 朝青龍は モンゴルに到着して 飛行機から降りるとき、

 キャビンアテンダントに向かって、

 他の人をさえぎってもらうよう 自ら耳打ちもしています。

 フライト中の5時間 無言だった朝青龍は、

 強い意志で 黙秘を貫いているようにも思えます。
 

 それから、何よりも驚いたのは、朝青龍に同行した医師というのが、

 あの 「神経衰弱」 という 戦前の診断名を口にした、本田医師だということです。

 これを承諾した相撲協会は 一体何も考えているのか、全く理解できません。

 そもそも協会は、腰の疲労骨折のレントゲン写真さえ 確認していないといいます。

 正しい診断が 全ての出発点なのに、それが置き去りにされたまま、

 事態は 国際問題として “昏迷状態” を呈しています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49869915.html
 
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「ヒロシマ・ナガサキ」 (3)

2007年08月30日 12時28分47秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49811206.html からの続き)

 火傷の後遺症を治すため アメリカに渡った、

 「原爆乙女」 のことも 紹介していました。

 20~30人の 原爆乙女たちは、その活動を率いる 日本の牧師と共に

 アメリカのTV番組に出演し、アメリカ人に寄付を募ります。

(原爆乙女たちは 顔は映されません。)

 その番組に出演するのは、何とエノラ=ゲイで 原爆を投下した飛行兵。

 彼は当時 何も知らずに命令に従い、原爆の炸裂を 目撃した瞬間、

 「とんでもないことをしてしまった」 と、懺悔の念に駆られたのです。

(アメリカで英雄に 祭り上げられた彼は、わざと窃盗を働いて 投獄された

 という話も 聞いたことがあります。)

 そして彼は、番組の中で 第一号の寄付者になります。

 アメリカ人に助けを求める 立場の牧師は、飛行兵と握手し、深く感謝するのでした。

 しかし それによって救われる 被爆者は、ほんのわずかな一握り。

 現在に至っても、保証を受けられる 被爆者の基準は 不明確なままです。

 これらを目の当たりにして 思うことは、誰しもただひとつ、

 「原爆は二度と 使用してはならない」 ということに尽るでしょう。

 戦争は人を狂わせます。

 「戦争は絶対にいけない」 というメッセージを、伝えていく 必要に駆られます。

 被爆者や戦争体験者が 残り少なくなっていく現在。

 映画冒頭で、渋谷でインタビューされる 若者たちは、

 8月6日,9日に何があったか、誰も答えられませんでした。

 僕は、自分の親が 戦争へ行っている 最後の世代なのですが、

 この時代であるからこそ、後世に語り継いでいかなければ と思うのでした。
 
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