( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45889711.html からの続き)
肉体的苦痛に関しては、
末期がんの苦痛によって 人間性までが 壊されてしまわないように、
行きすぎた延命を 拒否することは 尊厳死とされ、
今では かなり普及しています。
積極的安楽死も、厳格な条件の下に 承認する判例が 定まっています。
精神的苦痛に対しても、それに準ずることが 考えられないでしょうか?
精神的な苦しみは 肉体的なそれに 及ばないとは、決して言えません。
まして心子は、苦渋に過敏で 耐性が極めて弱いという 障害でした。
阿鼻叫喚の 責め苦にあえいでいる 人格のときの彼女が、
光も一切見えない 暗闇の中で、万事に終止符を打ちたいと 望んだとしても、
それを否定することは 僕にはできません。
病苦を和らげる治療が すぐに期待できない 現状では、
絶望から脱するため 止むにやまれぬ手段を 選び取ってしまったとしても、
それを咎めるのは あまりにも酷ではないでしょうか。
人間だけが、希望がなくては 生きていけないのです。
(自殺者の九割は、うつ病など 精神科の診断名が 付くといわれます。
自殺は “病気の症状” なのだとも言えます。)
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45951811.html