「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

自死について思うこと(4)

2007年03月13日 12時21分26秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45889711.html からの続き)

 肉体的苦痛に関しては、

 末期がんの苦痛によって 人間性までが 壊されてしまわないように、

 行きすぎた延命を 拒否することは 尊厳死とされ、

 今では かなり普及しています。

 積極的安楽死も、厳格な条件の下に 承認する判例が 定まっています。

 精神的苦痛に対しても、それに準ずることが 考えられないでしょうか? 

 精神的な苦しみは 肉体的なそれに 及ばないとは、決して言えません。

 まして心子は、苦渋に過敏で 耐性が極めて弱いという 障害でした。

 阿鼻叫喚の 責め苦にあえいでいる 人格のときの彼女が、

 光も一切見えない 暗闇の中で、万事に終止符を打ちたいと 望んだとしても、

 それを否定することは 僕にはできません。

 病苦を和らげる治療が すぐに期待できない 現状では、

 絶望から脱するため 止むにやまれぬ手段を 選び取ってしまったとしても、

 それを咎めるのは あまりにも酷ではないでしょうか。

 人間だけが、希望がなくては 生きていけないのです。
 

(自殺者の九割は、うつ病など 精神科の診断名が 付くといわれます。

 自殺は “病気の症状” なのだとも言えます。)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45951811.html
 
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自死について思うこと(3)

2007年03月12日 09時21分58秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45866742.html からの続き)

 アメリカで 生命倫理を学ぶ者に 教えられたという、

 一件のエピソードが あります。

 ある男性が 爆発事故で、全身に快復不能の 大火傷を負いました。

 目はつぶれ、手は拳のまま固まり、手足の骨が 露出するほどの重症でした。

 病院では 全身を包んだガーゼを 交換する際、

 体を水槽の中に つるして行なうという 荒療治がほどこされました。

 連日に及ぶ 想像を絶した激痛は 正に拷問です。

 彼は、 「治療をやめてくれ! 殺してくれ!」 と叫び続けました。

 しかし病院側は 前例のない治療実績を 作るためなのか、

 男性の声を 聞き入れませんでした。

 そして 何ヶ月何年にも渡る 地獄のような治療の末、

 幸運なことに 男性は持ちなおしました。

 形成手術を受け、義眼を入れ、数多の障害を 残しながらも、

 彼は その後結婚して 子供ももうけ、満ち足りた人生を 送りました。

 しかし 彼は、過酷な治療の先に 幸福があると 分かっているとしても、

 もう一度 あのときと同じ事態になったら、

 自分は断固として 死を選ぶと言います。

 死よりも苦しい 生の痛みがある ということです。

 この逸話は、命にまつわる自己決定 という命題も提起しています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45923285.html
 
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自死について思うこと(2)

2007年03月11日 13時50分58秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45852418.html からの続き)

 心子もカウンセラーとして、自分のクライアントが 死にたいと申し出たとき、

 それを打ち消しは しなかったそうです。

「 本当に死にたいときは 死ぬなとは言いません。

 ただ 今日一日だけ 生きてみて。

 もし明日 死ななかったら、もう一日 生きてみよう。

 そうしたら また 生きられるかもしれない。」

 クライアントは 自分の気持ちを 分かってもらえたと感じると、

 かえって 一命をつなぎ止めるといいます。

 カウンセラーは 本当の苦しみや悲しみを 知っていなければできないと、

 心子は言っていました。

 常日頃 周りに気を遣って 生きているのだから、

 せめて死ぬときだけは エゴイストでもいいのではないか とも言っていました。
 

 僕は、苦しければ死んでもいい とは言いません。

 人は試練のなかからこそ、結実したものを 体得していくことができるものです。

 安易に自殺に走るのは 論外だし、

 命の重みを かみしめられない人に 自殺傾向も見られるようで、

 生きることの真価を 知ってほしいと思います。

 しかしながら、死を選択せざるを得ないほどの 苦しみというものも、

 やんぬるかな 存在すると思うのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45889711.html
 
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自死について思うこと(1)

2007年03月10日 22時29分51秒 | 自死について
 
 心子は自らの手で 人生の幕を引きましたが、

 否定的に捉えられがちな  「自殺」 というものについて、

 僕なりに思うところを 記してみたいと思います。

 ただし、これはあくまでも 心子が世を去ったあとに、

 彼女の夭逝を 悲しみだけに終わらせないため 僕が思ったことです。

 いま自殺企図のある人には 必ずしも当てはまらないところが

 あるかもしれないと思います。

 決して 自死を安易に認めるものではない ということを、

 強く承知していただきたいと お願いいたします。
 
 

 元々 僕は理想が高く、生きる観念しかない人間でした。

 どんなに苦しくても、逆にそこから 何かつかみ取って生きてやると、

 昔は思っていました。

 しかし、かつて 僕は大いなる挫折をし、

 泥沼の底を のたうち回る懊悩に 苛まれた体験をしました。

 奥底のない 生き地獄の中で、

 胸が押しつぶされて 呼吸もできない苦悶に 七転八倒したのです。

 町を歩くと、道の両脇の建物が 赤錆びた廃墟と化して のしかかってくる、

 いても立ってもいられない 妄執に襲われました。

 一刻も早く この惨状から逃れたい,この場から 消えてなくなりたいという、

 どうしようもない衝動に 駆られました。

 がん末期の苦痛のために、死にたいと思うのと同様です。

(ただし 実際のがんの疼痛は、緩和療法で ほぼ取り除けます。)

 精神的な苦しみは 肉体的苦痛となって現れます。

 そこから逃げ出したい という欲求は、僕には納得できます。

 あと一歩のところで、僕も向こう側の世界へ 行っていたかもしれません。

 死生観は 人によって異なるもので、自殺を認めない人もいますが、

 僕は 心子の死を責めたり 卑しめたりしてほしくない と思っています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45866742.html
 
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「あなたになら言える秘密のこと」

2007年03月07日 11時33分14秒 | 映画
 
 「死ぬまでにしたい10のこと」 のイサベル・コイシェ監督と

 サラ・ポーリーのコンビが、再び 命や人生の重さを 描いた作品です。

 工場で日々 黙々と働く ハンナ(サラ・ポーリー)は、

 誰にも心を開かず 毎日同じ質素な弁当を食べて 過ごしています。

 何か重い陰を 背負っているようで、時々ハンナの耳に聞こえる 少女の声,

 ハンナがある女性に架ける 無言の電話……、

 いくつもの謎を秘めながら 話は始まっていきます。

 ハンナは元看護士で ひょんなことから、

 油田掘削所で大怪我を負った エディー(ティム・ロビンス)の

 看護をすることになります。

 エディーは2週間 寝たきりで 目も見えませんでした。

 体の痛みがありながら おしゃべりな男で、

 一日中 世話をしてくれるハンナに 色々なことを話しかけます。

 しかしハンナは 自分の本当の名前さえ言わず、義務的に看護をするだけです。

 でもユーモアを交えた エディーの会話に、薄皮を剥がすように

 気持ちがほぐれていきます。

 そして やがて、ハンナの壮絶な過去が 語られるのです……。

 あまりにも凄惨な体験のため、完全に心を閉ざして 生きてきたハンナでしたが、

 エディーの存在によって 生き返っていく物語です。

(その体験について 色々感じ考えさせられますが、

 ネタバレになるので 書けないのが辛いところです。)

 ハンナの心のプロセスを サラ・ポーリーが丁寧に演じています。

 そのラストシーンは 秀逸です。

 生きることの重さと 希望を感じた作品でした。
 
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「世界最速のインディアン」 (2)

2007年03月06日 12時39分09秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45694307.html からの続き)

 インディアンを購入した時は 時速87キロしか出なかったそうです。

 マンローはそれに 我流の改造を加え続け、何と320キロ以上を記録する

 世界最速のマシーンに 仕立て上げてしまいました。

 けれど スタートは人に押してもらわないと動かず、

 ヨロヨロと蛇行しながら 加速していくのです。

 あんなオンボロのバイクが どうしてそんな早く 走れるのかと不思議ですが、

 実話なのだから 事実なのでしょう。 (^^;)

 映画はメカニックなことや、最速のスピードを競う アクション映画としてよりも、

 マンローの人物像を 前面に出しています。

 マニアックなスピード狂ではありますが、荒々しいタフガイではなく、

 年のせいもあるのか マイペースで無骨な 憎めない老人です。

 それを 「羊たちの沈黙」 で あのハンニバル・レクターを怪演した、

 アンソニー・ホプキンスが演じています。

 還暦を過ぎてもなお 最速の夢を追ってやまない 自由人。

 仲のよい隣の少年に、 「夢を持たない奴は 野菜と同じだ」 と話します。

 大小のトラブルに見舞われながら、“鈍感力” のあるマンローは

 どんなアクシデントも 笑い飛ばして進んでいきます。

 そして ピンチには必ず 誰かが助けてくれるのです。

 彼の人柄が 周りの人の人情を 引き出すのですね。

 そんなマンローの生きざまに、まだまだ捨てたもんじゃない

 という気概を もらった気がしました。
 
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「世界最速のインディアン」 (1)

2007年03月05日 11時02分27秒 | 映画
 
 ニュージーランドの 実在のバイクライダー、バート・マンローを 描いた映画です。

 「インディアン」 はマンローのことではなく、愛車のオートバイの名前です。

 21才のときに インディアンを購入し、以来40年以上 独力で改造を繰り返し、

 最速のスピードを 追い求め続けてきたのです。

 ところが、貧乏なので 部品は台所のドアや コルクの栓。

 スピードメーターもなく ブレーキも効かず、

 タイヤのゴムを ナイフで削ったりしています。

 万事にわたって 常識破りのマンローは 隣人に迷惑をかけつつも、

 素のままの人柄で 不思議と誰からも好かれてしまうのです。

 そんなマンローも 63才になって 心臓を傷め、医者からバイクを止められます。

 でも医者の言うことなど 聞くはずもないマンロー。

 先が長くないことを知ると、

 生涯の夢である スピードの世界記録に 挑戦することを決心します。

 目指すは ライダーの聖地、アメリカ・ユタ州の ボンヌビル・ソルトフラッツ。

 湖が干上がった 塩の大平原で、どこまでも続く 広大な平坦地です。

 時速数百キロのスピードを測定できる 世界でも3ヶ所しかない場所なのです。

 マンローは こつこつと貯めた 虎の子を懐に、

 インディアンとともに ボンヌビルへの旅に出ます。

 映画は スピードレースの地へと向かう ロードムービーとして描かれます。

 マンローは道中 色々な人に出会い、誰とも親交を結んでしまうのですね。

 精力のほうも なかなかのものです。

 ついに ボンヌビルへと辿り着いた マンロー。

 ところがレース直前、マンローの前に 最大のピンチが立ちはだかるのでした。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45727529.html
 
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自死遺族--「グリーフケア サポート プラザ」 講演会 (6)

2007年03月04日 11時05分20秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45642418.html からの続き)

 自死遺族にとっての懊悩は、

 一生続くかと思われるような 長くて真っ暗な トンネルであったとしても、

 いつか必ず 一筋の光が差してきて、再生へと向かっていくのだといいます。

 それを知っておくことが重要です。

 立ち直っていくきっかけは 人それぞれで、

 ある人にとっては 意味があることでも、別の人にはそうではないでしょう。

 大切なのは、その人にとっては その時 そのことが

 救いとなり得たのだ、 ということなのです。

 
 しかしながら、死にゆく人に対して あらゆるサポートや 手立てを講じても、

 どうしても防げない 自死というものも 厳然としてあるといいます。

 苦悩があまりにも 底なしで巨大すぎて、なすすべがないというものもあると……。

 でも そういう人は、死ぬことによって生きた というのです。

 死によって 自由になった,解放されたということなのです。

 僕も、心子の死に対して 同様のことを思っています。

 彼女の苦しみは 小さな胸には圧倒的で、想像を絶する 生き地獄だったでしょう。

 心子は死出の旅立ちによって、ようやく苦しみから 解き放たれたのだ,

 これでやっと 痛みのない天国の お父さんの所へ行けたのだ,

 そう信じるしかないというものが、如何ともしがたく 僕の中にはあるのです。

 
 自死をする人は、我々が 普段忘れているものを 持っている人が多いといいます。

 馬鹿なくらい真面目で 優しいのです。

 我々は彼らのメッセージを 聞き取る必要があります。

 彼らが大事にしていたものを 我々がバトンとして受け取り、

 引き継いでいくことが 我々に求められているでしょう。

 そのとき 私たちの生き方が問われます。

 亡き人たちは、我々の中に生きているのです。
 

[ 演者 「グリーフケア サポート プラザ」 理事・藤井忠幸 ]
 
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自死遺族--「グリーフケア サポート プラザ」 講演会 (5)

2007年03月03日 12時26分45秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45576007.html からの続き)

 自死遺族の苦しみや心情は、周りの人には なかなか理解できません。

 普通の人は 善意で励ましたりしてしまいます。

 励ましが最もつらいことだというのは 皆さんはよくご存じでしょう。

 子供の一人を 自死で亡くした親に対して、

 「まだもう一人 兄弟がいるじゃないか。その子を可愛がってあげて」

 などと言う人もいます。

 親は その子がいなくなったことが 悲しいのであって、

 亡くなった子は 兄弟だろうが 換えることはできないのです。

 中には 「犬でも飼えば?」 と言う人さえいるようです。

 逆に、 「分かる分かる」 と 理解したふりをする人もいて、

 「どうしてあなたに分かるのか?」 と思わずには いられないでしょう。

 けれども これらの隣人は 善意で言っているので、

 遺族は我慢するのが つらいといいます。

 気持ちが弱っているから 言い返せないということです。

 そんな遺族にとって 一番望ましいのは、「好意的無関心」 というものだそうです。

 遺族のことを想ってはいるけれど、お節介をしない ということです。

 じっとそばにいる,気持ちを受け止める ということですね。
 

[ 演者 「グリーフケア サポート プラザ」 理事・藤井忠幸 ]

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45667076.html
 
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心子が好きだった雪……

2007年03月02日 01時07分07秒 | 心子、もろもろ
 
 2月が終わりました。

 気象庁が定義する 「冬」 は 12月から2月までなので、

 この冬は とうとう東京に 雪が降らなかったことになります。

(3月中旬に 寒さがぶり返すそうですが。)

 心子は雪が好きだったんです。

 拙著 「境界に生きた心子」 に書いた、雪にまつわるエピソードを抜粋します。
 

『 二日後、心子からメールが届いていた。

 <マンションの屋上から 飛び下りるとき、雪が降ってきたの。

  雪が心子の心を癒し、私は何とかこの時間だけ 呼吸してます>

 心子は 雪が好きだった。

 死へと墜落する心子を、雪が束の間 引き止めた。

 心子は僕と 雪見酒が飲みたいと言っていた。』
 

 それから 年が明けて、心子が旅立った後のことです。

『 葬儀の二日後、東京に雪が積もった。

 心子の好きな雪が。

 心子に見せてあげたかった。

 窓から 心子の写真と並んで 雪景色を眺めたあと、写真を抱いて 雪の中を歩いた。

 心子の上にも 白雪は降り注いだ。

「しんこ……見えるか? 

 真っ白い雪だよ。

 きれいだね……」

 この雪が もう少し早く降っていたら、

 心子を思い止まらせることが できただろうか……?

 その晩、僕は心子と 雪見酒を飲んだ。

 心子が一緒に 飲みたいと言っていた。

 涙酒だった。

 しんしんと、雪は降り続けた。

 永久の旅路に発った 心子を弔うかのように……。』

 
 心子も この冬は雪が見られず、淋しがっているかもしれません。

 せめて3月中旬に 降ればいいですが……。
 
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