来週、北京に出張する。終戦記念日を北京で迎えることになる。
気持ちとしては真っ先に天安門広場に行って天安門事件で亡くなった人々のために手を合わせたいのだが……日本人にとっての終戦記念日が中国人にとっては違う意味を持つことも想像できるし、このところの反日感情を考えると(ニュース記事「8・15」反日活動呼びかけ、中国当局抑え込みへ)、この日に天安門広場に行くことがよいかどうか……仕事を抱えて出張するわけでもあるし、じっくり様子を見てから行動したい。
8月15日といえば、今読んでいる『昭和の三傑 憲法九条は「救国のトリック」だった』堤堯(集英社インターナショナル)で幣原喜重郎について述べる章で印象的な場面があった。出典は伝記『幣原喜重郎』幣原記念財団だそうだ。
これが、日本国憲法を発布した時の内閣、幣原喜重郎の胸中……。
憲法改正が叫ばれる声が大きくなってきた昨今、これを読み、自分の母から聞いた昔語りを思い出す。疎開先で見た東京大空襲の炎。玉音放送。教科書に墨を塗らされ、今までの教育が否定されるのを実感した時のこと。食べるものにも苦労した戦中と戦後。
幣原喜重郎が記した「その日」から60年が経つ、8月15日。私は北京で何を見るのだろうか。そして、何を感じるだろう。
気持ちとしては真っ先に天安門広場に行って天安門事件で亡くなった人々のために手を合わせたいのだが……日本人にとっての終戦記念日が中国人にとっては違う意味を持つことも想像できるし、このところの反日感情を考えると(ニュース記事「8・15」反日活動呼びかけ、中国当局抑え込みへ)、この日に天安門広場に行くことがよいかどうか……仕事を抱えて出張するわけでもあるし、じっくり様子を見てから行動したい。
8月15日といえば、今読んでいる『昭和の三傑 憲法九条は「救国のトリック」だった』堤堯(集英社インターナショナル)で幣原喜重郎について述べる章で印象的な場面があった。出典は伝記『幣原喜重郎』幣原記念財団だそうだ。
――終戦の玉音は日本倶楽部で聞いた。「満堂愕然として色を失い、万感胸に迫って頭を垂れ、一語を発する者もない。一隅よりすすり泣きが聞こえた。私も思わず手巾で目を蔽った」
帰途の電車の中、乗客が一人、涙ながらに悲憤慷慨する。
「なぜ今回の戦争に突入しなければならなかったのか、納得できない。政府や軍部は楽観的な報道のみを掲げ、無条件降伏の状況に迫っていたことなど、一言も公表しなかった。国民に目隠しをし、場に追いこむ牛馬と同じ扱いではないか」
これを聞いて「満車の乗客はことごとく同感の叫び声を揚げた」。この状景を思い出しては「夜半夢平かなることを得ない」。今回、国政を担当するにつき、この光景が絶えず私を刺激する。
「国民が子々孫々、その総意に反して戦争の渦中に引き込まれることなきよう、憲法の根本的改正によって、国政に対する国民の指導権を強化する外なきことを信じた」
これが、日本国憲法を発布した時の内閣、幣原喜重郎の胸中……。
憲法改正が叫ばれる声が大きくなってきた昨今、これを読み、自分の母から聞いた昔語りを思い出す。疎開先で見た東京大空襲の炎。玉音放送。教科書に墨を塗らされ、今までの教育が否定されるのを実感した時のこと。食べるものにも苦労した戦中と戦後。
幣原喜重郎が記した「その日」から60年が経つ、8月15日。私は北京で何を見るのだろうか。そして、何を感じるだろう。