朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

学会の予稿集

2009-12-03 | 社会貢献(仕事)
ハワイの風物紹介の前に、国際学会運営の進化を少々。



 これまで、日本で開催された国際学会の事務局を数回担当してきました。
 最初は、30年くらい前でした。京都で開催され、約2,000人の参加者があり80%くらいが外国からの参加者でした。
 当時は、まだ日本には、国際コンヴェンション専門業者は存在していなくて、旅行・ホテル・バスの手配以外は全て手づくリでした。(脚注へ)

 会議登録作業は、想像以上の煩雑さで、十分に準備はしたつもりでしたが、前日の夕方には長蛇の列ができ、事務局長を務めていた某大手企業研究所の幹部氏は、(遠来の外国参加者を待たせることを恥と感じたようで)怒って自分の配下の人員を急遽手伝わせました。しかしその事は、後で大変な手戻りを発生させたのです。つまり事前に打ち合わせもしていない人が適当に処理したので、だれに何を渡したのか不明、登録料金の総計と資料配布の参加者数が一致しないなど。 

 現在は、ほとんどの参加者はインターネットで事前登録し、登録料もカードで支払っているので、コンピュータとソフトウェア支援により当日の作業は極めてスムーズとなりました。しかもコンヴェンション運営の専門業者が出来ているので、ほとんどお任せで開催できます。もっとも、数十人までの小規模な国際会議はいまでも手作りですが、そのほうが参加者への気配りが行き届くので好ましいです。

 さて、発表論文の予稿集のことです。
 以前は、審査をパスした論文は、指定の原稿用紙に英文タイプにて清書して事務局に国際郵便で発送します(「カメラレディ」原稿と言いました)。それを受け取った事務局は目次や表紙を作成して紙にオフセット印刷します。
 大きい学会ですと、電話帳サイズの予稿集(プロシーディングス)が数冊に分かれました。持って帰るのもとても重くて大変でした。

 予稿集は、数年前からCDに収容されて配布されるようになりました。カメラレディ原稿も、紙にタイプするのではなくてPDF形式で作成してインターネットで事務局に送信するようになりました。

 今回は、ついに、USBメモリ(フラッシュ・メモリ)に収容して配布されました。



 上の写真で、紙のプログラムの上の乗っているものが、USBメモリーです。この中に、目次、主催者の挨拶、セッション構成、予稿論文集などが収まっています。
 電子化して便利な点は、重量が軽くなったことだけではありません。検索が容易になり、著者名、組織名称、技術用語のキーワードなどで目的の論文やセッションが、たちどころに探しだせます。



 例えば、論文はこんな形でPCのディスプレイに現れます。プリントすることも出来ます。



 会場には、無線LANが設備されていて、参加者のほとんどがノートPCを持ってきていて発表を聞きながら、参考資料を検索したりしています。中には、仕事や私用のeメールをダウンロードして、それに返事を書いている人もいます。

 グローバルにネットワークが利用できるので、現在は、論文審査をする委員の作業効率も格段に向上しました。
 国際委員会の議論は、ほとんどがeメールと時々の電話会議で済んでしまいます。しかし、年に1度か2度は顔を合わせる「オフラインミーティング」が必要です。今回のような、この学会の旗艦会合(Flagship)では、論文セッションと平行して、学会内の各種委員会や、ワークショップ(臨時の討論会)、チュートリアル(先端の話題の解説、教育講演会)、ボランティア会議のミーティングが開催されています。

 本当に、ネットワークのグローバル化の威力はすごいと思います。
 現時点でも、こうやって、エコノミーなホテルの部屋からでもほとんど無料で写真やメールを送受信したり、ブログを更新できるのですから。

====
脚注:その国際学会は、1976年の秋に京都国際会館で開催し、前日には京都ホテル(現京都ホテルオークラ)で登録受付を開始しました。当時は、インターネットも、国際ファックス、PC、国際クレジットカード受付もありません。
 
 コンピュータは研究所のものを臨時に使用してソフトを手作りで組み込んで登録リストの記録と集計に使用しましたが、それは東京での作業の支援でした。前日や当日の登録処理はは、事前の記録プリントの帳票、何種類かの手書き伝票の準備で乗り切りました。事前登録のない飛び込み登録の外国人も多くて、混乱しました。事前の登録料は国際間銀行為替で受け取っるのですが、送金元(特に企業名での送金)には参加者個人を特定するのに手間がかかります。共産国などの方は、外貨送金、持ち出しの制限もありました。

 京都ホテルでの前日登録には、予想の2,3倍の参加者が来場したので、行列ができたこともさることながら、予稿集(紙の印刷で3、4分冊)やそれを入れるバッグも不足しました。その分は当日のために国際会館に運送してあったのです。急遽、タクシーを飛ばして取りに行きました。

 ある米国の研究者の場合は、クレジットカードだけでドルの現金もほとんど持参してきませんでした。日本が米国の州のひとつくらいの感覚だったのでしょう。そのカード(VISAか、Amexか)の日本支店に電話してキャッシングの方法を教えてもらいました。その場所が京都の中心部にあることが分かったので、事務局に支給されていたタクシー券を渡してそこまで行ってもらいました。その方はセッション議長という重要な役職者だったので。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする