朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

鞆の浦、仙酔島

2015-03-02 | 国内各地の風物
尾道から山陽線で東に20分ほど乗って福山まで行き、そこからバスで30分ほど走ると、鞆の浦に着きました。



瀬戸内海の海運が重要な交通手段であった中世時代には、鞆の浦は潮待ちのためにも重要な役割を果たしました。

この辺りの海では鯛がとれるので、「鯛網」でよく知られ観光名物にもなりました。

鞆の浦から渡し船「平成いろは丸」で5分のところに「仙酔島」があり、静かな保養地となっています。



そこにある一軒のやや旧式の国民宿舎に泊まりました。



天然の温泉は湧いていませんが、海水風呂や薬風呂、サウナなどそれなりに大浴場に工夫がされています。

夕食は牡蠣鍋を中心に、海の幸各種でした。



宿の人の演奏による太鼓の披露がありました。



~~

翌朝は好天に恵まれて、窓から海が見えました。



朝の散歩は仙酔島を半周する遊歩道をめぐりました。



名物の五色岩。



砂浜や磯が並びます。



小山の上に登ると、鞆の浦の全景が眺望できました。

渡し船で鞆の浦に戻り、歴史の香りが残る町並みを見学しました。





なぜか、仁丹の町名琺瑯看板があります。新しい製品のようです。(京都には古いものがまだかなり残っていますが・・)

※そのあたりの事情が、京都仁丹樂會に書いてありました。



港に面した立派な蔵が、「いろは丸展示館」となっています。1867年、鞆沖で沈んだ坂本龍馬と海援隊の船、いろは丸の引き揚げ物、龍馬のかくれ部屋、沈没状況のジオラマなどが展示されています。龍馬が買い付けた最新式ミニエー銃400丁が積載されていたので、加害側の紀州藩に補償を強く求め、交渉が長引いたようです。・・現代になって、沈没現場を調査したところ、鉄砲の積み荷やその破片は発見されていません。彼の交渉術の勝利だった模様です。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする