朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

苔寺2

2015-03-09 | 京都の文化(冬)
西方寺は、室町時代初期1339年に夢窓国師が中興、開山した臨済宗の寺院です。



この池の中にいくつかの石がまっすぐ並んでいます。

伝承によると、これは徐福が中国・秦の始皇帝の命を受けて、不老長寿の霊薬を求めて蓬莱島に向かう船団を表しているようです。夜泊石(よどまりいし)との名前があります。

国特別名勝となっている庭園は、傾斜地に上下二段構成です。上段は枯山水、下段は黄金池を中心とした池泉回遊式庭園の二つからなっています。苔の種類は120くらいあるとか。



この池には、朝日島、夕日島、霞島があり、庭を作った当時苔はなく、現在のように苔に覆われ始めたのは江戸時代末期といわれています。

これらの島が盛り上がっているのは、銀閣寺の銀沙灘と同様、年月によって池に貯まる土砂を取り除いて島に積み上げたことによるとのこと。

石を組んだ、亀島に小さな木が生えています。



注連縄をまいた岩があります。その由来を聞いたのですが、・・・失念しました。



この茶室には、明治維新の工作をした岩倉具視卿が、尊王攘夷派に追われて隠れ住んた家です。



亀島があったので、当然、鶴島もあります。細長く特徴ある石を組んでいます。

亀島や鶴島には、土砂を積み上げていませんね。



左に立つ人が庭師ガイドの 三浦豊さん。



丸窓の休憩所。



しいの木(?)の大木がどんとそびえていました。



この門から、上の庭園に入ります。(石段上からの写真)
石段自体が名作で、石もいいしその高さや大きさ、形も傑作だと思います(三浦さんの受け売り)。

ここからが、「枯山水」の元祖、夢窓国師の作です。

日本庭園のユニークな特徴であるこの石組みは、この場所から始まりました(これも三浦さんの受け売り)。



正面一番奥の石組みは滝を表現し、全体で三段の滝です。

「鯉魚石」、滝を自分の力で遡ることのできる鯉は、古代中国で出世のシンボルそされました。そこでそれを象徴した石が、ここにしっかり作られています。・・実は、銀閣寺の崖にあった滝の石組みにも鯉魚石がありました。

30mくらい離れた場所に、



泉が湧いています。これも銀閣寺の「お茶の井」に受け継がれています。



この枯山水を眺めつつ座禅する「座禅石」、恐らく夢窓国師が座ったことでしょう。

この石庭を正面に眺められるよう、夢想国師の木象が小さなお堂に安置されていました。

2時間位かけて、ゆっくりと解説を聞きながら庭園を見学すると実に興味深い。



福寿草がお茶屋の角に咲いていました。

この後、この日のガイド最後のお寺に向かいました。
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