玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

一食をだいじに

2020-02-19 02:00:08 | 健康
 数種類のパターン化で人の一生がどのパターンになっているかわかる。

 父は栄養の常識では存在しないことになっているが、このパターンにはきちんと入っている。

 栄養を考えることがだいじなことで何種類も万遍なく食べることが健康になる方法だ、という常識では、父の成長期の食事でなぜ、米寿まで生きられるのか説明できない。
 少飲少食で同じものを飽きもせず食べてきたのだから、栄養のことなど考えたこともないだろうし、万遍なくどころか偏食もいいところで、多種類どころか数種類の数えるほど、というわけで全く正反対のことをやって、米寿だ。

 最も簡単な結論は、わが道を行け、だ。脱輪しない根拠は、幼少期の食事が健全で、本能にしたがって味覚、嗅覚、が良い。視覚、聴覚あぶなかっしいが、あまり関係ない。

 次の結論は、燃料はまじりっけ無しが良い。ところが、まじりっけだらけの現代化学の傑作の食料品にもアレルギーなど出ないからすごい。

 さらに結論は、ものすごい体は化学物質を即座に排毒する。

 もっと極端な結論は、丈夫な人をつくったのはナイナイづくし時代。


 こうしてみると、時代背景を考えどのような食事をしたかが、人の健康に決定的な影響。
 栄養の常識は父の存在を説明できないが、この論理は父の存在を前提にしているので完全だ。

 ものぐさ人間にあてはめ、もっと正確に考えると一日一食が目の前になる。毎年、忙しくなると始めるがそのあとの大食いをやめるきっかけになるかもしれない。
 一食ですごすと頭がさえてくる、主観的だが。
 そこまでやる気があるのは、病院に行きたくない、それだけなので、今度は一食を続けるのか、論理上つきつめていくと。
 頭がさえて柔らかくなると最高、ついでに体も柔らかくして。


going my way.
being pure.  
Chemical free.
Nothing era.
Perfect.
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする