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フジテレビの報道・情報番組「みんなのニュース」で3日、日本最大級の宗教団体である幸福の科学グループが特集された。教団の施設にカメラが入った、その報道内容は、日本のマスコミの宗教に対する偏見を象徴していた。
スポットライトは「金」「権力」
番組では、教えや信仰の内容にはほとんど触れずじまいだった。
全体の印象は、「潤沢な資金を持つ教団の内部にカメラが入った」というナレーションを前置きとし、祈願奉納を収める封筒や、宝具の値段が中心に紹介されるなど、「お金」に焦点を当てるシーンが目立った。
また幸福実現党については、「幸福の科学を優遇する政治を行うのではないか」といった、宗教と権力に関する疑問を広報担当者にぶつける内容がメイン。番組のテーマは「政界進出の狙いは?」だったが、結論部分は何も言わず、ネガティブなシーンで終えていた。
報じられなかった「心の教え」
偏った印象だけが残るといけないので、一部補足したい。
まず、幸福の科学では、「自分を幸福にしつつ、周りの人々も幸福にしていく教え」が中心に教えられている。「他人に何かをしてもらうことを考えるのではな く、他人を愛すことで、幸福になれる(愛)」「人間の幸・不幸は心が決める(悟り)」といった心の教えがあり、「社会をより良い方向に変えていく(ユート ピア建設)」という実践の教えもある。
教団施設で行なわれているのは、物品の販売ではなく、こうした教えを元に心を見つめ、神仏に祈りを捧げる行為だ。
政治進出も人を幸福にするため
また、政治に進出するのも、不況や戦争、教育制度の乱れを契機に、悩み苦しむ人が大量に生まれることを防ごうという思いからだ。政治哲学の根本にも、「人はどう生きるべきか」という人生哲学がなければならない。
幸福の科学もグループの活動は、決して「金・権力」を目的にしたものではない。
宗教を「教え」で見ない日本社会
「金・権力」にスポットライトを当てる番組構成になる背景には、日本社会において「宗教=お金・権力」という偏見があるためだろう。
「教えで人々に悩みを解決してもらい、人々を幸せにする」という宗教的な面ではなく、施設・お金ばかりに焦点を当てる編集には疑問を感じる。
日本人が、宗教の教えの中身を語れないのは、その判断基準がないからだろう。学校教育の中で、仏教・キリスト教・神道など、伝統的な宗教の教養について教えられていない。そのため、新興宗教の教えを見ても、比較対象がなく、どう見ていいのか分からない。
今回の報道内容は、そんな日本の歪んだ宗教観を象徴していると言える。
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こうした偏見、偏向報道に風穴を開けたいですね。
マスコミ報道がこうだからなのか、よく「宗教法人に課税しろ」という声を聞きます。
確かに、免税されるからと宗教を隠れ蓑にした、怪しい団体もあることは事実。
与党に入り込んだ政党の母体である新興宗教だって、もんっのすごく匂う。
オウムのようなテロ組織が宗教を名乗っていたりもした。
こうした様々な問題から、新興宗教や宗教団体自体が、全ていかがわしい存在であると烙印を押され、そこに、排他的ともいえる極右思想が相まって
過激な宗教排撃思想が国民の一部に横たわっている。
しかし、そこで、少し冷静に考えてみてほしいのです。
もしも、もしも、幸福の科学が正しかったとしたらどうだろう────。
大川総裁の世界観が一部の人たちだけが共有するカルト的オタク世界ではないということになり、大川総裁が説く世界観こそが真実という事になる。
これは白か黒かという問題なんです。
0%か100%かのどちらかなのです。
もし、正しければ、これまで出された霊言の主である様々な神々や、そのトップに君臨されるエル・カンターレという地球神が実在することになります。
だとしたら、「宗教法人に課税しろ」という人たちは、神々に対し税金払えと言う傲慢不遜な罪を犯していることになります。
人として最低な行為だし思想でしょう。ここまできたら日本人もおしまいという話です。
五分五分なんですよ。
課税しろという方は「賭け」にはお強いほうですか?
死んであの世が在るか無いか、どちらに「賭け」ますか?
五分五分です。
パチスロ、競馬競輪競艇、ロト6、宝くじには強いんだよ!という「宗教課税論者」の方々は、ここぞというところで運を使い果たしている・・・ということもあるかもしれませんよ。
もし、幸福の科学が正しくてあの世があったら、「課税しろ」という方は大負けです。
幸福の科学が正しかったらあの世が在ることになります。
だとしたら、こうした人たちがあの世に還った時、何が待っているのか・・・・・・・・。
裁判とはこの世にだけあるのではありません。
この世とはあの世の投影に過ぎず、あの世を模倣して人間が作り上げているだけ。
あの世の裁判はそれはそれは誤魔化しが効きません。
証拠は必ず、あなたや、あの世の裁判官や、あの世の聴衆の前に“出現”してしまうわけです。
別に脅しているわけではありません。
現実問題として、突き付けているだけです。いつかは人は死ぬのですから。
さて、あなたはどちらに「賭け」ますか?
こうなると、「世にも奇妙な物語」・・・なんて甘~い作り話どころじゃ済みません。
無か、はたまた、在るか・・・・・・・
「課税しろ」と言い続ける人にとっては年を取るごとに大きな問題としてのしかかることでしょう。