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Mikuのブログ

日本の15歳の読解力低下 大人も子供も「スマホ依存」に注意

2016-12-13 15:06:21 | 教育・いじめ問題・児童虐待・少子対策

http://the-liberty.com/article.php?item_id=12317

世界の15歳の学力を調査する「国際学習到達度調査(PISA)」の結果がこのほど発表され、読解力については日本の順位が、4位から8位に低下したことがわかった。 

PISAは経済協力開発機構(OECD)が実施している国際的な学力調査で、2000年から実施されている。義務教育が終了するころの15歳を対象に、「読解力」「数学知識」「科学知識」「問題解決」の4つの能力を調査する。 

調査が始まった2000年には日本はトップレベルの成績を収めたが、2003年には「PISAショック」と名付けられるほど、順位が大幅に低下。これを機に「ゆとり教育」が見直され、2009年からは、順位が上昇していた。 

 

活字離れの原因は?

文部科学省の国立教育政策研究所は、今回の読解力低下の原因として、生徒間で、インターネット上のSNSでの比較的短い文章のやり取りが増えていることを指摘。「論理的で一定の分量のある文章を読む機会が減っている」とした。 

実際に、内閣府による「青少年のインターネット利用環境実態調査」では、1日にスマートフォンを使う時間として「2時間以上」と答えた中学生は、2015年度で48.1%、高校生では66.8%となり、「5時間以上」と答えた高校生も12.5%いた。 

「スマホ依存」の子供が増えて読書時間が減り、学力が落ちていることは、子供に限らず大人にとっても一定の警告と考えるべきだろう。 

文化庁の「国語に関する世論調査」によると、16歳以上で「読書量が減った」と回答した人は2014年に65.1%を占めた。読書時間が減る理由として、スマホなどの電子機器で時間が取られる、と答えた人は、2009年から14年にかけて12ポイント上昇している。 

ついつい、スマホを触ってしまうという人も多いかもしれない。ただ、それによって奪われた「時間」にも注意する必要がある。 

大川隆法・幸福の科学総裁は、2009年発刊の著書『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』で、インターネットの危険性について次のように述べていた。

 

インターネットや携帯電話を使っている時間が、かなりあるのではないでしょうか。これらの時間が増えた分、逆に、減った時間、消えた時間があるはずです。それは、実は『考える時間』です。『思索し、考え、思想をつくる時間』が消えています。それから、『判断を下すための時間』も消えています。さらに、もう一つ、消えているものがあります。それは『本を読む時間』です

 

前出の2014年「国語に関する世論調査」では、「人が最も読書すべき時期はいつ頃だと考えるか」という設問に対し、「10歳代」と答えた人が44.8%を占めた。そして「年齢に関係なくいつでも」と答えた人は20%にとどまり、2009年から14年にかけて5ポイント低下した。本を読まず、スマホに依存する大人の姿を、子供たちは真似てしまっているのではないだろうか。 

iPhone生みの親であるスティーブ・ジョブズは、自分の子供にはiPhoneを持たせなかった。また、マイクロソフト社創業者のビル・ゲイツ氏も、自分の子供にパソコンを与えなかったという。彼らは子供への影響をよく知っていたのだろう。便利なものであっても、使い方を見極めることが大切だ。 

 

読書のメリット

読書をすれば、自分が経験したことがないことでも、他の人の人生を生きたかのような体験をすることができる。また、直接会うことのできない偉人の考えに、本を通して触れることができるのだ。深い思索によって生まれた文章は、スマホやインターネットをながめているだけではなかなか出会えない。こうしたより高い価値のある文章に触れることが、学力だけでなく、人生の糧につながる。 

大人も子供も読書の価値に再び目を向け、日本人の活字離れに歯止めをかける必要がある。(志)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』 大川隆法著https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=118 

幸福の科学出版 『心を練る 佐藤一斎の霊言』 大川隆法著https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1650

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ムズムズして黙ってらんない

2016-12-13 00:02:47 | 日記

今年のエル・カンターレ祭は、特別なものだったようだ。

どういう意味かと言えば、総裁先生の意識がこれまでより一段高いところからのインスピレーションを受けられてのお話だったようです。それは宇宙創造の根本仏からの。

総裁先生の魂は根本仏と教わっていましたが、そのストレートな意識でのご講演というのはなかった。

お話は最後、インド、ヨーロッパに話がわたり、これから幸福の科学の教えが世界へ本格的に広がり、実質的に仕事をしていくのだと感じた。

それは、初めて「太陽の法」を読んだ時のことを思い出してしまう内容でした。

あの当時、アメリカと中東辺りが湾岸戦争をしていて、

この「太陽の法」というのが世界中に広まったら、こんな戦争あっというまに解決してしまうだろうと直感的に感じた。

その時、どこからか教会の鐘の音が鳴った。

そして是非ここに入りたい!と強く思った。

それから、半年後入会を果たした。

 

引っ越したばかりの家だったので、どこかに教会があるのだろうと思っていたけど、その後、鐘の音を聞くことはなかった。

 

それから〇十年、マイペースにしてるけど、ここにいてよかった!。゚(T^T)゚。

そんな余韻でいたら

ある知人からのメールで私の我見が炸裂した。

その知り合いのメールによると、とある本部長という方が

総裁先生が「創造的破壊」の話として、先生のご講演前の宏洋様の歌を語っておられた話をして、多分その流れだったのでしょう、こうおっしゃったそうです。

「巷のスズメはピーチくぱーちく様々の(宏洋様の歌の)評価をしておりまするが、これからの基準としての歌、なんだと・・」

つまり宏洋様の歌っておられた歌は、これからの基準となる歌であると。

 
「今までの芸術や歌に慣れてる人は、自分の価値基準を中心軸に合わせる・・
『音が外れている』と評価する人は自分の音が外れているんだ」
と、その本部長が言ったというのです。
 
「巷のスズメ」・・とは多分一般人というより、講演に参加していた信者さんたちのことだと思うのです。
 
実は私、一曲目の歌ではじめ少々音がとれていないようだな、と感じていました。
曲が微妙な音階だったせいでバンドの大音響でご自分の音が正確に取れなかったのだろうと思って聞いていましたが、次第にあってきたように感じました。
でも、それはプロでもたまにある範囲のことなんじゃないかと思われた。
 
しかし、そのズレたように感じたのは、自分の基準に合わせて聞いていただけで、本当はあの微妙にずれて感じた音程こそがこれからの歌の基準となるというのだ。
 
あれが正しい音程だったのだろうか。
もちろん初めて聞く曲なので、こちらが「あれは違う」とは言えません。
 
しかし、この本部長の話を聞いたとき、なんとなく、K氏問題のことを思い出してしまったのだ!
これが私をむずむずさせた原因なのです。クスン(ノω・、)
 
K氏がまだ奥さんとして活躍していた時、職員や当時の婦人部(現女性部)たちはみな、どれだけ彼女が補佐として努力をされているのかと、散々話していた。
それは確かにその通りだった時代もあったでしょう。しかしそれが、あの顛末だ。
あの美談はなんだったんだろうと正直感じた。
 
そして、だったら正直になろうよと思ったのだ。
 
なぜなら、それなりの方や職員さんたちはもうずいぶん前から“知っていた”のだ。
でも誰も何も言わなかった。でもそれはわかります。
そして知らなかった私はいつまでもK先生と呼ぶただのいい子ぶりっこ信者だったのだ。
 
もちろん、宏洋様がK氏のような仏敵ではない。
 
ただ、おかしいものはおかしいと言えないのは・・いかがなものだろう。
それはまるで言論統制とも感じ取れてしまう。
 
わたしはもう自分に正直になりたい。
あんな誤魔化したような思いはもうたくさん!
これが勝手な考えなのはわかっている。
だけど、今、腑に落ちないものはしょうがない!
 
どんなプロだって歌や踊りやお芝居というのはそれ相応の時間をかけて練習を積み重ねるもの。それは大天使であってもそうではないだろうか。
 
ただ、宏洋様はお忙しい中、ご自分が先頭切って創造的破壊という役割をされている。だからそこに練習不足による少々の音程のズレなど、大したことではないのだ。
それでいいのではないか?と思うのです。
 
だけど、もしかしたら、もしかすると、ひょっとしたら、ひょっとすると
その本部長の言う通り、そのズレたように聞こえた、私を含めた大勢の巷のスズメたちの感覚の方こそが、古い感覚となっていくのかもしれません。
 
ただ、今のところ、「巷」の若い歌手でも、あの「ズレ感」を感じたことはない。

実はそれはこの世的な感覚であって、霊的な波長の音程だったのかもしれない。 
だから時代の最先端を行く創造的破壊の音程だったのかもしれないということも、頭の片隅には入れておこうとは思う。
 
それと、
「秋田犬」は「あきたいぬ」と読むんですよね。
 
なんにしても
これからだーーーーー!!


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