千葉県松戸市でベトナム国籍の女児が殺害された事件で、逮捕された容疑者が同児童が通う小学校のPTA会長であったことで、最近、PTAが取り沙汰される記事がチラホラみられる。
それはそれはネガティブな記事だが、私にはそれを覆すことができない。それはもしかしたら一度PTAを経験した方でさえ、いや経験した方ほどPTAネガティブ記事に異を唱えることができないのではないのか?・・と思ったりします。
確かに私の母もPTAを嫌っていた。
なにしろ、自分にも女の子がいるのに、こんな酷いことをする人に会長が務まるような組織なのだ。
会長をくじ引きで決めるというところもあるとか・・
また、友人に聞いてみると
最低でもPTAは子どもの数と同数回やらなければならず、PTA幹部たちが知合いの保護者の子どもの数を把握していて、毎年、まだやってない親がいないかどうかを幹部同士チェックしているという。子どもが高学年になってもやろうとしない保護者がいると、〇〇さんまだやってないよね?とお声がけをするとか・・ちょっとゾッとする・・
楽な係りに集中して、毎回じゃんけんで決めてるとか・・
ばかみたいじゃないですか?
そんなね、みんながみんな嫌うような組織なら一度無くしてみたらどうだろうか?と思うのです。
実際問題、本当はボランティア精神なくして務まるようなものではないだろうし、全員にボランティアを強要するのもおかしいな話だ。
同じく友人の子どもの通う小学校では、PTAは複数の部会で構成され、PTA本部と広報部、文化部。
その中でも実質的に学校行事進行に必要なのは本部。ここはPTA幹部の集まりだが、実質的にこの人たちが行事などでは教師たちの補助的な手伝いをしている。広報部やら文化部などは学校運営だけを考えれば、はっきり言って無くてもいいものだが、地域との関わりとして置かれた部会なのだろう。
こうして組織を見ているとPTA本来の理念が見えてくる。
それはやはり“子どもたちへの愛情”なのです。
本部の学校行事のお手伝いは、運動会にしろ学芸会にしろ学校独自の行事にしろ子どもたちがのびのびとその行事へ参加して、良い経験を培い、思い出を作ってほしいという思い。
広報部、文化部などの地域との関わりでは、地域の方々と保護者達が学校を通じ連携を持つことで、地域の方々により子ども達へ意識を向けてもらい一緒に子ども達を守るという、防犯や子どもの非行防止の役割を果たす。
しかし、そうした理念を毎年全学年の保護者達で共有することができず、お互いを疑い、不満を言い合い、足を引っ張ぱりあって、いかに何もしないかを競うようでは、今回の事件のように子ども達に悪影響を及ぼしてしまうし、そんなのは本末転倒のように思える。
「PTAカースト」子どもの数、経験年数で決まる序列 「伏魔殿」をブログで暴露 「まるで衆愚政治」