城山三郎さんの”官僚たちの夏”がドラマ化されていて好評だそうです。TVドラマの寸評はともかくとして、今から30年以上も前に、丁度この小説を読んだ頃、当時私は海外にいて、父達の世代(主に大正生まれの世代)の方々に幾度となく感謝した経験があります。
30年ほど前の1970年代後半というと、日本製品が世界市場を席捲し始めた頃でもありました。しかし、日本車と言えば、まだ燃料効率が良い小型車ばかりで、高級車といえば日産フェアレディーZくらいしかありませんでした。あの世界のトヨタでさえも、当時は海外では、まだまだ知名度がありませんでした。
家電製品では、SONYやJVCをはじめ、既に多くの日本ブランドが世界市場を席巻していたと思いますが、日本製品が高級品として、海外の消費者から認識されるのは、もう少し後の80年代になってからだったと思います。
それを象徴するエピソードなのですが、アメリカとの国境に近いM国のとある町に、所用で逗留していた時のことですが、朝鮮戦争に出兵し、日本にも来たことのあるというテキサスの老人と話す機会がありました。その典型的なアメリカの白人老人が、
「SONYが日本人の会社なんて、絶対にあり得ない! 本当の経営者は、アメリカ人かヨーロッパ人に決まっている!」と、無知蒙昧な事を、その白人の老人に頑なまでに云われ、当時まだ若かった私は心底腹を立て、憤りを感じた思い出があります。
しかし、その直後に、逗留していたM国の片田舎の郵便局で、日本宛の郵便を出すときに、窓口の局員さんに、
「日本って、ヨーロッパでしたよね?」と真剣に聞かれ、
「日本はアジアですよ!極東、つまりアジアの一番東側で、日のいずる国という意味が日本の国の名前なんです!」得意げに説明した良い思い出もあります。
その時ばかりは、昭和30年代、40年代、当時通産技官でもあった父やその世代の日本人の方々の努力のお陰で、いまの日本があるのだと、つくづくと感謝して日本への絵はがきに、このエピソードを書いて送った記憶があります。
いずれにしても、昭和30年代の日本は、政治家も官僚も経営者も技術者も労働者も本当に多くの人々が一丸となって、日本という国を何とかアメリカのTVのホームドラマに出てくるようなような豊かな国にしたいと思っていたと思います。
今現在、天下り先や政界進出ばかりに腐心する官僚達や、自分個人の利益しか考えなかった漢字検定協会の元理事長親子などの公益法人の役員達、或いは、XX衛門さんや税金が高いと海外に移ってしまった元通産官僚の投資ファンドオーナーの▲▲さんのようなエゴ丸出しの経営者などは、本当に少数派だったと思います。
だからこそ、戦後アジアの貧困国の一つであった日本は、国民一人あたりの所得が大幅に増加して、奇跡の復興と経済成長を遂げることが出来たのだと思います。何も日本人が勤勉だったからではありません。当時の日本国民の多くが、共に頑張ってゆける社会環境と社会構造があったからだと私は思っています。
「日本人は勤勉な国民だから、日本経済は今回の困難な状況からでも必ず脱却できる!」などとコメントする経済評論家の期待を込めた論評に対して、「戦前、日本には神風が吹くから、日本は絶対に負けない!といっていた時代を思い出すなあ」と、どなたか年配の方が呟いていた事が、私にはとても印象的でした。
ここ20年、OECD諸国の中で唯一国民所得が下がっている今の日本という国には、もうこの”官僚たちの夏”に登場するような情熱やポリシーを持った熱い官僚や、社員と共に一丸となって夢に挑戦するような経営者も本当に少ないような気がします。
”官僚たちの夏”のような30年以上も前の作品が、再びドラマ化されたということが、今の霞ヶ関の官僚達や企業経営中枢にいる人々への警鐘のように感じられたのは、なにも私だけではないのだと思った、先が見えない不景気下の夏の独り言でした。