今年で平成20年と元号が平成に変わってから丸19年目になります。カミさんに婚約指輪をプレゼントしたのがやはり平成元年でしたから、年を取るのもやむを得ないのかもしれません。
さて、大正デモクラシーから昭和20年までの戦火への20年、昭和20年の終戦から奇跡の復興であった戦後20年、そしてバブル経済末期の平成元年からバブル崩壊による経済の低迷から20年と、この3つの20年を比べて見ても一目瞭然でして、戦後復興の20年間が最も明るく希望があった20年であったようです。
私自身、戦前の暗い20年や、戦後ドサクサの昭和20年代の事は全く知りません。しかし、物心ついた昭和32年以降の日進月歩の変化は、子供心にもこの先々がどうなるのかが分からない程、毎日がわくわくするような楽しみな日々であった記憶があります。実際、団扇・ラジオ時代から扇風機・白黒TVへ、塩漬け・洗濯板から冷蔵庫・洗濯機へ、電報・自転車から自宅電話・自家用自動車へ、そして白黒TVからカラーTVへと、毎日毎日どんどん進歩し、普及して行き、ライフスタイルがめまぐるしく変わって行ったのでありました。
では、この平成の20年程の時代ですが、そんなに見捨てたものではないのです。例えば、携帯電話の爆発的な普及やインターネットの普及などは、到底想像すらできなかった訳です。平成元年頃は、ショルダー式の重~い肩掛け鞄のような通話料の馬鹿高い移動電話だったのです。しかし、今では小学生でもGPS付きの携帯を持っています。PCも、まだまだフロッピーディスクから起動していた事業所用が主流で、PCが内蔵のハードディスクに変わり始めたばかりの頃でした。しかし、今では家庭用PCの性能でも、200倍以上のデータ容量と数百倍の処理能力があり、当時であったら学術用の汎用コンピュター並のマシーンになってしまう程の性能なのです。更には、今では世界中の情報が、インターネットを通じて瞬時に画像データを含む大量のデータをやりとり出来ますが、20年前まではFAXか、テレックスによる文字情報しかやりとりできませんでした。
ですから、失われた時代と言われているようですが、決してそんな事はないと思います。私は、本当に失われたのは、馬鹿げた狂気と非常識と自惚れだけだったのではなかったのかと思っています。
そして、これからの20年は、一体どうなって行くのでしょうか?皆さん、ワクワクしながら未来に希望を持とうではありませんか!
本年も宜しくお願いいたします。
10年はあっという間に過ぎる、と言うけれど
20年も長いようで一瞬に過ぎていったように
思います。
元年にうまれた子供は成人してますからね。
バブルのあの賑やかさからは嘘のような景気後退、
・・・というよりも、腰を据えて少しは浮き足たてずに
物事を考える知恵がついてきたのだろうか・・。
等と考えながらも、相変わらず世間は地味な色合いを醸しながらも、やっている事は変わらないのかもしれませんね。
奥様に婚約指輪を渡した記念すべき元年だったのですね。 いつも仲睦まじいご夫婦で羨ましいかぎりです。
今年は関東にお出掛けしようか・・などと企んでおります。
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。先ずは、良い知らせが聞けると良いですね。
東京に所用でお越しの節は、小職事務所にでも見学にお越し下さい。一人で開業している行政書士とはどんな事務所なのかが参考になるかもしれませんから。
冷蔵庫が無い時代は、塩漬けだったのですか!
前にむか~し録画したビデオを見ていたら、
NTTのCMで、ショルダー式の携帯電話が出てきました。
あれを使っていた人って、どのくらいいるんでしょうね?!
こちらこそ、今年も宜しくお願いします。
ところで、昭和35年くらいまでは、殆どの家庭には冷蔵庫はありませんでした。国産電機メーカーもロクな冷蔵庫は作れなかったのです。当時の一流品は米国GE製でした。
ですから、一般的には食料品は生鮮品をその日に買って使ってしまうか、買い置きしていた塩漬け味噌漬けや干物を必要に応じて使っていた記憶があります。勿論、合成保存料などもありませんでした。
味噌や醤油、豆腐などは量り売りでしたから、容器を持って行かないと買えませんでした。今のようにパック売りは無かったので、この時代には生ゴミ以外のゴミが殆ど出ませんでした。
ゴミ回収は殆ど無く、多くの家庭では生ゴミは土に返し、紙ゴミは庭先で燃やしていました。
ちなみに、我が家の電化の順番を言うと、TV、洗濯機、冷蔵庫の順でした。
20年ほど前、公衆電話から携帯電話に電話したら、千円のテレカが1~2分位で、あっという間に終わっちゃいました。そのくらい携帯電話の通話料って高かったんです。当時バブルですから、建築関係のオヤジは結構使っていましたねぇ!全部経費でしたから。