アメリカ合衆国民主党の次期大統領候補者に、黒人のオバマ氏が選ばれました。もしかしたら、アメリカの歴史上、はじめての黒人大統領が誕生するかもしれません。それがどうしたの?と思われる若い方々は、おそらく沢山いると思います。
米国のTVドラマでは、既に、何人もの黒人大統領が誕生しているのを見ている、今現在の米国しか知らない若い方々にとっては、「別にどうとゆうことではない話では?」と思うのも当然なのです。しかし、黒人に公民権の無かった時代を知っている、概ね50歳以上の世代の人間にとっては、やはり凄い事なのです。
あの、キング牧師が言った有名な、「私には夢がある。いつか、ジョージアの赤土の丘に元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが一緒に座り、友愛のテーブルを囲む日が来るという夢が。」というスピーチが物語っているように、1963年当時、アメリカの黒人にはまだ公民権はなかった(翌年の1964年7月、凶弾に倒れたケネディーの意志を継いだジョンソン政権下で、はじめて公民権法を制定させたのでした。)のでした。また、黒人などの有色人種(日本人も含むアジア人や中南米系の人種も含まれます。)の利用・使用が制限されていた施設(白人専用プール等)や公共交通機関(白人専用バス等)は、当時はまだまだ沢山あったのでした。ですから、キング牧師の夢のとおり、元奴隷の黒人の息子達と元奴隷所有者の白人の息子達が同じテーブルに座って、語り合うなどということは、夢のまた夢でしかあり得なかったのでした。
それが、ほんの40数年前のことなのです。自由と民主主義を標榜し、世界のリーダーたるあのアメリカが、ほんの30~40年前まで、そんな野蛮極まりない人種差別が当たり前の国家だったなんて、今ではとても想像がつきません。34~5年前、留学先を検討していた私は、当初から米国への留学などは全く考えていませんでした。それは、あの有色人種を当たり前のように差別する社会に暮らすことなど、私にはとても考えられなかったからです。更には、かつての敵国人でもある、有色人種の私が米国に暮らせば、太平洋戦争で戦死した白人家族から、場合によっては、正当防衛の名の下のリンチに遭いかねないと本気で危惧していたからでした。この様に、当時のアメリカという国は、まだまだ危険で、野蛮な非文化国家(経済・軍事大国ではありましたが・・・)の一つに過ぎなかったのでした。
1977年に、アメリカと国境を接した某国政府文化機関に勤務する方が、「数年前、テキサスのある町に行った時に、”犬と某国人の入店はお断り”とレストランに書いてあったアメリカという国が今でも許せない」顔を真っ赤にして怒っていた姿を今でも鮮明に覚えています。また、同じ年に、テキサス、アリゾナ、ニューメキシコ、カリフォルニアと車で旅をした時、給油と休憩のために南部の白人しか見当たらない、ある田舎町のレストランに紛れ込んでしまい、カウボーイーハットを被った地元の白人の男達から一斉に視線を浴びせられたとき、”殺される”と本当に身体が竦んでしまったことは、今でも昨日のことのように覚えています。
しかしながら、アメリカという国は、今では当たり前のように黒人大統領を選出するかもしれない国家に変貌しています。その変わり身の早さというか、柔軟性には本当に驚かされます。世界最強の軍事大国であり、その主張には独善的な面があったり、相変わらず文化的にはどうかなぁ?って思うことも多々ある国なのですが、世界で唯一残ったスーパーパワーで、実質的な世界のリーダー的な国家として、今回のこのニュースには心より敬意を表したいと思います。
20代前半のころシーズンオフということもあって
格安でアメリカに旅行に行ったときのこと
降りるバス停を間違えて黒人街で降りてしまい、何もなかったけれど異様な雰囲気に怖いと感じてしまった事を思い出します。
近くに中国人街があったせいもあり
さほど気にもかけられなかったのが幸いしたかもしれません。
保守的な州では人種差別は根強いといわれます。歩いていて二階の窓から唾を落とされたりしました。
警察官のすぐ横で麻薬の売り買いをしているのも見たし、発砲事件にも遭遇したし、
いろんな意味で勉強になりました。
あれから何年もたってますが、アメリカは何処まで変われているのか
今後の選挙に注目ですね。
しかし、9.11以来、折角長年掛けて定着してきた多民族による融合という考えも、再び崩れ始めたように見えることのは、誠に残念なことです。