行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

入管横浜支局新庁舎(シリーズ 第25回)

2009-07-14 00:58:23 | 行政書士のお仕事

 6月1日に移転した東京入管横浜支局の新庁舎に行ってきました。横浜支局管内には川崎出張所(小田急線新百合ヶ丘駅近くの合同庁舎内)もあって、そこでも申請出来ますが、事務所のある千代田区からは交通の便が不便でもありましたので、あまり利用はしていませんでした。

 しかし、今回移転した新庁舎は、川崎出張所のある小田急線の新百合ヶ丘駅よりも更に不便な場所に移ったようですし、在留特別許可の出頭の場合には、出張所では対応して貰えませんから、新庁舎にはどうしても一度は行かなければなりませんでした。

 今回は、単なる期間更新が2件でしたから、川崎出張所に申請しても良かったのですが、とにかく、新庁舎に行って見ることにしたのでした。

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 新庁舎の作りですが、名古屋入管に極めて良く似ていました。しかし、申請スペースは名古屋入管の半分程度しかありません。つまり、収容スペース部分が相当部分を占めているということなのでしょうか。

 ちなみに、先週の7月10日、在留特別許可の新しい許可基準が公表されました。

 従来ですと、概ね中学生以上の、日本語しか話せない子供がいる場合以外には、該当性(日本人、永住者、定住者などの配偶者)の無い場合の不法残留外国人への在留特別許可の可能性は殆どありませんでしたが、今回の新基準では、日本で生まれた小学校4年生(10歳以上)以上の高学年の子供と同居している親の場合でも、積極的許可要素となっていることが特筆すべき点です。

 従来の基準ですと、日本で生まれた子供と同居している親の場合でも、小学校4年~6年生の子供がいる場合、許可されるかどうかは極めて微妙な年齢であり、実務的には中学入学を待って出頭させることが多かったと思います。そうゆう意味では、今回の新基準は可成り前進したと云って良いと思います。

 一方、消極的な要素として、不正な旅券等で不法入国した者や刑法犯などを挙げてはいますが、必ずしもこれらの者達すべてを、一律に在留特別許可の対象外として扱うことは、プロとして恥じずべきことです。在留特別許可手続に慣れたプロの方々であれば、その辺りのことは良くご存じの筈です。

 ちななみに、私が関わった案件で、この東京入管横浜支局にて、幸いにも在留特別許可を取得するに至った方々の総数は、累計で19名の方々がおります。勿論、東京入管やその他の入管でも、ほぼ同数に近い方々が在留特別許可の取得に至っています。

 とはいえ、こういった在留特別許可の手続は、かなりの神経を使います。それは、その方々の人生を左右する手続きでもあるからです。場合によっては、刑事事件の公判の時点から関与しなければならない事も多々あります。ですので、正直申し上げれば、出来る限りは関わりたくないのですが・・・。しかし、言葉の問題などで、他に対応する者が居なければ、私がやるしかありませんし・・・。

 こういった案件を、無事に終わらせる事が出来ると、それなりの満足感もありますが、本当にどっと疲れが来るのです。それは本当です。それだけ、神経を使う手続という事です。

 ですので、決してビジネスとして受託した事はありません。救う価値のある方々、或いは、救わなくてはいけない方々に限って、私は受託しているからです。

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官僚たちの夏

2009-07-11 00:23:55 | 社会・経済

 城山三郎さんの”官僚たちの夏”がドラマ化されていて好評だそうです。TVドラマの寸評はともかくとして、今から30年以上も前に、丁度この小説を読んだ頃、当時私は海外にいて、父達の世代(主に大正生まれの世代)の方々に幾度となく感謝した経験があります。

 30年ほど前の1970年代後半というと、日本製品が世界市場を席捲し始めた頃でもありました。しかし、日本車と言えば、まだ燃料効率が良い小型車ばかりで、高級車といえば日産フェアレディーZくらいしかありませんでした。あの世界のトヨタでさえも、当時は海外では、まだまだ知名度がありませんでした。

 家電製品では、SONYやJVCをはじめ、既に多くの日本ブランドが世界市場を席巻していたと思いますが、日本製品が高級品として、海外の消費者から認識されるのは、もう少し後の80年代になってからだったと思います。

 それを象徴するエピソードなのですが、アメリカとの国境に近いM国のとある町に、所用で逗留していた時のことですが、朝鮮戦争に出兵し、日本にも来たことのあるというテキサスの老人と話す機会がありました。その典型的なアメリカの白人老人が、

 「SONYが日本人の会社なんて、絶対にあり得ない! 本当の経営者は、アメリカ人かヨーロッパ人に決まっている!」と、無知蒙昧な事を、その白人の老人に頑なまでに云われ、当時まだ若かった私は心底腹を立て、憤りを感じた思い出があります。

 しかし、その直後に、逗留していたM国の片田舎の郵便局で、日本宛の郵便を出すときに、窓口の局員さんに、

 「日本って、ヨーロッパでしたよね?」と真剣に聞かれ、

 「日本はアジアですよ!極東、つまりアジアの一番東側で、日のいずる国という意味が日本の国の名前なんです!」得意げに説明した良い思い出もあります。

 その時ばかりは、昭和30年代、40年代、当時通産技官でもあった父やその世代の日本人の方々の努力のお陰で、いまの日本があるのだと、つくづくと感謝して日本への絵はがきに、このエピソードを書いて送った記憶があります。

 いずれにしても、昭和30年代の日本は、政治家も官僚も経営者も技術者も労働者も本当に多くの人々が一丸となって、日本という国を何とかアメリカのTVのホームドラマに出てくるようなような豊かな国にしたいと思っていたと思います。

 今現在、天下り先や政界進出ばかりに腐心する官僚達や、自分個人の利益しか考えなかった漢字検定協会の元理事長親子などの公益法人の役員達、或いは、XX衛門さんや税金が高いと海外に移ってしまった元通産官僚の投資ファンドオーナーの▲▲さんのようなエゴ丸出しの経営者などは、本当に少数派だったと思います。

 だからこそ、戦後アジアの貧困国の一つであった日本は、国民一人あたりの所得が大幅に増加して、奇跡の復興と経済成長を遂げることが出来たのだと思います。何も日本人が勤勉だったからではありません。当時の日本国民の多くが、共に頑張ってゆける社会環境と社会構造があったからだと私は思っています。

 「日本人は勤勉な国民だから、日本経済は今回の困難な状況からでも必ず脱却できる!」などとコメントする経済評論家の期待を込めた論評に対して、「戦前、日本には神風が吹くから、日本は絶対に負けない!といっていた時代を思い出すなあ」と、どなたか年配の方が呟いていた事が、私にはとても印象的でした。

 ここ20年、OECD諸国の中で唯一国民所得が下がっている今の日本という国には、もうこの”官僚たちの夏”に登場するような情熱やポリシーを持った熱い官僚や、社員と共に一丸となって夢に挑戦するような経営者も本当に少ないような気がします。

 ”官僚たちの夏”のような30年以上も前の作品が、再びドラマ化されたということが、今の霞ヶ関の官僚達や企業経営中枢にいる人々への警鐘のように感じられたのは、なにも私だけではないのだと思った、先が見えない不景気下の夏の独り言でした。

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今も そしてこれからも いつまでも

2009-07-07 09:18:31 | 日記・エッセイ・コラム

 私事で恐縮ですが、昨日7月6日は私と家内の19回目の結婚記念日でした。

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 この都内の、とあるレストランの今は使われていない小さなチャペルで

 結婚式を挙げ、

 その下の30人弱しか入れないダイニングルームで披露宴を行い、

 そして、地下にあったバーで、二次会までしてしまいました。

 ほとんど貸し切り状態だったかもしれません。

 そんな素敵なレストランに、毎年家内と来ています。

 「もし、二人が元気でいられたのならば、毎年必ずここに来ようね!」

 そう、家内に約束して19年経ちました。

 1度だけ、スペインに出張中で行けない時がありましたが、

 その年以外はすべて、このレストランに来ています。

 ですから、ここで食事をするのは、結婚式の時を入れて19回目

 という事になります。

 「この約束が、25回続いたら嬉しいね!」

 結婚した当時、そんな遠い先の夢のような未来の話をしていた

 私達でしたが・・・。

 その25回目が、もう6年後に見えて来ました。

 このレストランには、これからも いつまでも 来るつもりです。

  Now and Forever

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YouTube: Richard Marx - Now & Forever

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大臣と長官の違い?

2009-07-02 20:58:56 | どうしてなんだろう?

 そもそも大臣とは、天皇や国王などに仕える家来である臣下の中の高位な官職、つまり政治・行政職での高位の臣下という意味からして、“大臣”と云われていると理解しています。

 ところで、日本では、むしろ武家社会以前の朝廷全盛時代に誕生した官職のようでして、雛人形にも飾られている有名な右大臣や左大臣などは皆さんご存じのとおりです。

 私自身が不勉強なので、どういった職務だったかは知りませんが、政を司る高位の重要な官職であったことには間違いなさそうです。このように大臣という官職は、いにしえの昔から我が国にも存在していたようです。

 そして、今現在でも国務大臣(Minister of State)は、皇居での天皇による認証を経て、はじめて財務省や外務省、防衛省、厚生労働省、金融監督庁等々の最高責任者として内閣総理大臣(Prime Minister)の構成メンバーである大臣(高位の官職としての臣下)として国務を担当する官職となっているようです。

 ですので、皇居での認証を受けない警察庁長官やら特許庁長官、水産庁長官などは、CommissionerとかDirector Generalと次官級、局長級の政府公式英訳が用いられ、大臣とは異なる官職となります。

 つまり、天皇や国王の居る君主国に限り、その国家の各行政省庁の長を大臣と称することが正しいのだと思います。例えば、今現在でも国王を元首としているイギリス、スペイン、オランダ等のヨーロッパの多くの君主国家でも、省の最高責任者は大臣と称されています。

 一方、共和制のアメリカ合衆国では、国民が選出した大統領が任命した最高位の行政官を長官(Secretary)、つまり大統領の助役的な意味としてSecretaryと称しています。これを日本語で、米国・・省・・大臣と訳さず、米国・・省・・長官と訳したのは実に見事な名訳だと思います。

 ところが、フランス、ドイツ、イタリアなど、そもそも国王が居た国家では、今現在も長官ではなく大臣と称している国が多いようです。

 正確なところは分かりませんが、おそらくこれらの国々では、かつての国王に代わって、大統領が首相を任命して、内閣を組閣させている筈です。つまり、共和制によって大統領が国家元首となったものの、大臣(長官)の任命や認証方法が、かつて国王が行っていた時と同じような形式を、共和制になった現在でも、大統領が行っているからではないか、と私は勝手に想像しています。

 とはいえ、もう既に君主国家では無くなってしまった以上、たとえその国が未だにMinisterに相当する英訳を今現在も使っているとしても、・・省・・大臣、すなわち臣下の高位の官職者と訳すのは、日本語的にはどうも正しいとは思えないのですが・・・。

 浅学非才ですから、この程度でギブアップです。もし、どなたかご存じの方がいらしたら、どうかお教え下さい。そうだ! 隣のオジさんにも聞いてみますかねぇ。

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