行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

世界長者番付3年連続一位のカルロス・スリム氏について(その2)

2012-03-12 10:56:29 | 国際・政治

 1985年から次々に企業買収を始めたカルロス・スリム氏は、

 1990年、当時の大赤字の国営企業であった

 メキシコ電話公社(Teléfonos de México)を買収したのでした。

 記憶によれば、外資が参入するという噂も飛び交いましたが、

 民族系資本による民営化という国家方針に従って、

 カルロス・スリム氏が買収したのでした。

 その買収した公営電話企業が結果的には大飛躍する中核的企業へと

 大変貌する源となったのでした。

 当時、私もメキシコ公営企業に勤務しており、公営企業は高級官僚や

 労働組合の利権・利益の草刈り場であったので、どの公営企業も赤字でした。

 従って、どんな有望な公営企業(例えば、メキシコ石油公社とか、

 鉄鋼公社とか)であっても、公営企業である限り、赤字のたれ流しであり、

 企業としての存続性そのものに問題があったのでした。

 私の勤務していた、メキシコ大径管公社もその実態は惨憺たる内情であり、

 旧経営陣の乱脈経営を正し、正常な企業に変貌して貰うことが、

 我々日本側少数株主として経営参加している者の仕事でもあったのでした。

 従って、当然ながら私の勤務していた会社も民営化の対象でした。

 ところが、メキシコ電話公社(Teléfonos de México)は、折しも携帯電話の

 世界的・爆発的な普及と重なり合って、あの万年赤字会社は瞬く間に

 巨額な利益を生み出す大企業に成長して行ったのでした。

 それは、日本の電電公社がNTT東西に民営化され、その子会社NTTdocomo

 が急成長したシーンと全く同じだったのです。

 そうゆう意味では、カルロス・スリム氏には運もあったのだと思います。

 勿論、万年赤字会社を黒字化して、移動体通信事業に機敏に対応し、

 メキシコ国内のみならず、ラテンアメリカ諸国の移動体通信ネットワークを

 いち早く構築したスリム氏の功績は評価されるべきだと思います。

 一方、経緯は違いますが、ある意味ではソフトバンクの孫正義氏は、

 実はこのカルロス・スリム氏の通信事業での成功を相当に意識して、

 VODAFONEを買収したのではないかと思われるふしがあります。

 カルロス・スリム氏の成功は、いわばJTグループの買収に始まって、

 NTTグループ、ましてや韓国、中国までも傘下に収めた通信会社を

 有しているようなものだと想像して頂ければ、スリム氏が長者番付

 に出てくる理由がお分かりになるかと思います。

 次回は、このシリーズの最終回である三回目に入りたいと思います。

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 以下最終回第三回に続く・・・

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世界長者番付3年連続一位の資産家カルロス・スリムについて(その1)

2012-03-10 13:59:22 | 国際・政治

 アメリカの経済誌、フォーブスが毎年発表する世界長者番付で

 3年連続首位のカルロス・スリム(Carlos Slim=カルロス・エスリム・エル)氏、

 日本ではまったく馴染みの無い人物です。

 二位のマイクロ・ソフト創業者のビル・ゲイツ氏や三位の

 著名投資家のウォーレン・バフェット氏を知っている方々は多くとも、

 この首位のカルロス・スリム氏? 誰? メキシコ人?

 ラテンアメリカの通信王? というイメージではないでしょうか。

 実は、私もスリム氏をことをまったく知らない一人でした。

 彼の事を日本語でネット検索しても、碌な情報は得られません。

 Wikipediaでも、大した情報が記載されていないのです。

 それではと、スペイン語で検索してみると、やはり色々と面白い事実が

 判明してきました。

 そこで、今回は3回に分けて、世界長者番付3年連続首位の

 カルロス・スリム氏について判ったことを書いてみます。

 第一回目の今回は、彼の生い立ちについて、以下のサイトから要約した

 内容を書いてみます。

  http://penadinastiaarruza.com/page000.aspx

 勿論、この記事の筆者であるタナ・アルーサ・ブガリン女史

 (Derechos de Autoría de Crónica : Tana Arruza Bugarín)

 の許可を得て翻訳した訳ではありませので、商業目的での転載は、

 ブガリン女史の著作権や小職の二次著作権に抵触する恐れがありますから

 厳にご遠慮下さいますようお願いします。

***********************************************************************

 さて、スリム氏ですが、1940年(昭和15年)メキシコシティーで

 レバノン系移民の父と、メキシコ人の母の六人兄弟姉妹の五番目の子として

 生まれたのだそうです。

 レバノン系移民の父親は、メキシコシティーのダウン・タウンで手芸品店を

 営んでおり(メキシコの繊維業界はレバノン系移民が多い)、その商売が順調

 に伸びて、1910年のメキシコ革命が終わった後の、下落した不動産物件を

 多数購入して財をなしたようであり、投資して財をなすということが当たり前の

 家庭に育ったようです。

 このスリム氏の父親の手法は、戦後の日本(1950年以降)の土地投機

 よりも概ね40年も前に行われていた事に正直驚かされます。

 ところで、スリム氏は私も一時通っていたメキシコ国立自治大学の

 土木工学科を卒業後も、代数を学んでおり、教鞭も執っていたという

 アカデミックな側面もあったようです。

 そして、1965年(メキシコオリンピックの3年前)僅か25歳の時に、

 不動産投資会社(Grupo Carso)を立ち上げています。

   こうして、上昇を続けた不動産投資で財をなしたスリム氏はいよいよ

 実業界へ、投資先を広げて行くのであります。

 1985年メキシコ・タバコ会社(Tabacalera de México (Cigatam) )

   を皮切りに、自動車部品製造会社などを買収し、メキシコシティーでは

 著名な飲食+雑貨チェーン店であったサンボルンス(Sanborns y Hnos.)

 (セブンイレブンとデニーズと足したような店舗チェーン)を買収したのでした。

 ちなみに、私が1987年~1990年までメキシコ大径管公社という公営企業

 に勤務していた時期とラップするのです。

 当時、あのサンボルンスが手芸品店のオヤジに買収されたと

 友人の日本人歯科医師が騒いでいたことを、

 おぼろげながら、今頃になって思い出しました。

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 以下、次号第二回目に続く!

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どうなる?新しい在留管理制度

2012-03-06 09:13:23 | 行政書士のお仕事

 週末の3月2日金曜日の夜半から、土曜日、日曜日と、体調不良で、ほぼ寝たきりで、出席が危ぶまれていた日行連主宰の「新しい在留管理制度に関する研修会」に、昨日の3月5日月曜日、何とか聞きに行くことができた!

 我々、実務者向けの研修会であるから、法務本省入国管理局参事官室の補佐官、東京入管審査管理部門の統括審査官を講師に迎えた研修会という名の新制度説明会が行われた。

 補佐官による説明は、運用面での政令等が未整備であるという理由で、公開されている情報以外は、特に目新しい情報は得られなかった。

 一方で、東京入管審査管理部門の統括官は、同じように運用面に関連した政令等が未整備ではあるが、決まっている運用については可能な範囲でお話し頂けた。

 例えば、

 1.7月9日からの申請書様式が全面的に変わり

   従来の様式も移行期間を認めず全面的に使用不能となること。

 2.それも、9日直前に新しい申請書式(永住申請は除く)が

   全面的に変わるらしい事。

   それは、在留カードに写真を転載するため、

   申請書に写真を貼る欄が必要となること等が理由らしい事。

 3.在留カード制度導入に伴い、従来の上陸、期間更新、変更などの

   許可証印が一切なくなること。

 4.上記に伴い、品川の東京入管の従来の証印カウンターが

   在留カード受渡カウンターに変貌すること。

 5.在留カード申請窓口は、再入国許可申請カウンターを縮小して

   空いたスペースを使用する予定らしいこと。

 6.郵送による届出先は、東京入管内の在留管理情報部門に

   一括して集中管理させる為に、地方入国管理局宛では無く、

   東京入管宛とする事

 7.現在、市区町村が保管している外国人登録原票は、法務省へ戻されて、

   公文書として一定期間保管されるとの事。

 8.申請取次制度で依頼人から預かる在留カードに対して、

   在留カード原本を預かっている旨の事実証明を添付した

   在留カードのコピーなどを依頼人に発行することにより、

   依頼人が受ける職務質問などでの無用なトラブルを

   回避させることとなりそうな事。

 9.永住許可のガイドラインを改訂中であり、許可条件の一つである

   最長の在留許可期間を得ていること等々のガイドラインを

        再検討の上、近々公開する予定であること。

10.元特別永住者などで、一旦在留資格を失い、再び永住資格を

   得た者のうち、日本への定住性の高いものに対しては、

   特別永住者への移行を認めるらしい事。

11.仮放免許可を受けた者で、一定期間を経過したものについては、

   その者が行政上の便宜を受けられるようにするとの観点から、

   住民登録、国保加入、義務教育児童の就学等(このあたりは想像です)を

   認めるよう、入管が市区町村に通知する措置制度ができるらしい事。

 運用面で、まだまだ決まっていないと言われる割には、実は非公開の運用内容では、それなりに決まっている点も多々あるようである。

 新しい在留制度の施行まで、あと4ヶ月余り! 施行日2ヶ月前、1ヶ月前までには、更に細部に至る運用の全貌が出てくる(いつものように、予告無しで突然変更する点も相当数あると想像する)であろう。

 上記のような変更に伴う想像される窓口での混乱に対して、申請取次者として在日外国人の方々のあいだで定着しつつある我々行政書士にいち早く情報を開示して頂く事こそが、入管窓口の混乱やトラブルを多少なりとも減らせる有効な手法であることを確信した、今回の制度説明会であった!

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救急外来へ

2012-03-03 21:51:55 | 健康・病気

 昨夜は、熱っぽく頭痛が続き、胸部に圧迫感もあり、

 一昨日には、軽い目眩がした上に、階段を上がる際には

 膝が痛んだために、早々に早寝をした。

 更に、夜中に目が覚めて嘔吐してしまった為、

 流石にこれは拙い状態だと思い某病院の救急外来へ行った。

 症状的には、髄膜炎に似てはいるので、場合によっては

 即刻入院という事も考えられた。

 但し、高熱ではないので、どうかとも思ったのだったが・・・。

 念のために、入院となった場合を考えて、モバイルPCの設定をして

 病院へ向かったのだったが・・・。

 血圧、心電図、問診、インフルエンザ等々検査をして貰ったのだったが・・・。

 担当の医師曰く、髄膜炎である可能性は低いとの事。

 その上、髄膜炎かどうかの判定は髄液を採って検査するので、

 直ぐには出来ないとの事なので、取り敢えず戻って様子を見ることとなった。

 今日土曜日及び明日日曜日は全休にしてメールチェックだけはして、

 返事は月曜日に出すことにしようと思う。

 先週は、土日両日とも事務所に出ていたので、

 考えてみたら二週間ぶりの休みである。

 やはり、年齢的にはもう無理が利かなくなっているようだ。

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