一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

山本一力『損料屋喜八郎始末控え』

2006-10-07 | 乱読日記

損料屋とは「夏の蚊帳、冬の炬燵から鍋、釜、布団まで賃貸しする」という商売です。
もっとも所帯道具にも事欠く連中相手の小商いなので、年寄りの商売と相場が決まっているのですが、主人公の喜八郎は眼光鋭い28歳です。

喜八郎はもともと北町奉行蔵米方与力の末席同心だったのが、米相場で私腹を肥やそうとした奉行のスキャンダルの責任を押し付けられて野に下ったところを、同じく奉行の損失を被らされた「札差」の米屋(屋号です)が深川の損料屋と家を買い取って与えたものです。
米屋は喜八郎の才覚を見込んで、商才のない自分の総領息子を陰で支えてくれるように頼むとともに、上司であった与力秋山の情報収集活動も行う、というのが陰の仕事です。

先のスキャンダルがあった田沼老中の時代から時代は松平定信が老中になり、年号も寛政に変わる頃が話の舞台です。

札差というのは、もともと旗本・御家人が年に三度支給される棒給の切米を自家用以外の分を市場で売却して現金収入を得る仲立ちをする商売だったものが、法度に縛られた武家は体面保持に蓄えを費やし、先の日限で受け取る切米を担保にして札差から借金をするようになり、札差もこの時代になると金貸し業が商いの大半を占めるようになっていました。
仕組みとしては商品(先物)ブローカーと貸金業が兼業しているようなものですね。

札差は江戸市中で109人しか認められられておらず、当時栄華を誇っていました。

その中で、寛政の改革の一環として出された棄捐令(札差に対する債権放棄の強制)は札差に大打撃を与え、貸し渋りによる武家の困窮や景気の悪化、経営危機になった札差の乗っ取りなど、喜八郎と米屋、与力の秋山の周囲でさまざまな事件が起きます。


この本は江戸の経済事情と深川を中心とした江戸の下町の風俗を、人情噺を交えながら活写しているのですが、最近の貸金業の上限金利引下げ議論や、バブル崩壊局面での銀行の経営危機なども思い出しながら読むのも面白いです。


これを読むと、時代は変っても人の行動は変らないな、とつくづく思います。

札差の金利は年1割8分ですが、当時もより高利で貸す「座頭金」というのがいました。
元は「公儀上納金の一時的運用を官が認める」という建前だったものを、公儀の庇護を売り物に市中の豪商から金を集め、それを度外れた高利と手段を選ばない取り立てで膨らませていたそうです。
座頭金の利息が「日歩4厘」。つまり10日で4%(「トイチ」よりは低いw)=年146%。

また、二年後、三年後の切米まで担保に入れ融資を受けられなくなった旗本は札差を脅して貸金を強要する「蔵宿師」(借りた金の一部が手取りになる)を雇うこともあったそうです。

さらに、札差間で顧客(札旦那)を貸金ごと売買する取引も行われていて、今で言えば事業譲渡や不良債権ビジネスですね。

また(実在したのかは不明ですが)接待で客を口説き落とすために「襦袢茶屋」なるものを経営している札差も出てきます。ちょっと前で言えば「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいなものでしょうか。


作者の山本一力さん自身、さまざまな職を遍歴し、事業で作った借金を他人に頼らず返済しようというのが小説家になった動機だそうで、1994年から時代小説を書き始め、2004年に『あかね空』で直木賞を受賞したときは、会見場まで家族4人で自転車で駆けつけたという異色の経歴の持ち主だそうです(これは別の本の解説にありました)。


その経験が、商売人を語る厳しく、かつ暖かい視線に現れているのかもしれません。


最後に作品中から気に入った一言を。

高利貸しは肝が座っていなければ、客の恨みで、おのれの気が潰される商いだ。

語り口がかっこいいだけでなく、消費者金融問題(上限金利問題)のややこしさは、普通の商売や金融取引と違って感情が大きな要素を占めるところにあることを示唆してもいますね。


 

コメント
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