一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『街場の教育論』

2009-03-25 | 乱読日記

内田樹センセイが「街場の○○」というシリーズで何冊か異なるテーマについて書いている中の一冊。
「街場の」というのは誰でもわかる、というような意味なんでしょう。

ただ、読みやすくはあるものの、わかりやすいかというと必ずしもそうではありません。
ウチダ先生独特の話の進め方や言い回しは、読者にも考えることを求めます。
何か答えが書いてあるのではと考えて読むと、レトリックにだまされた感じがしてしまうと思います。
たとえば「学ぶ」ということについてはこんな風に書いてます。

・・・習ったことを覚えておきさえすれば満点がもらえる試験に受かって仕事を得たら、そこは「習っていないことについて即答すること」が要求される場であったわけですから。
 そのための訓練を日本の学校教育は構造的に怠ってきた、というのが私の年来の主張であります。「どうふるまってよいのかわからないときに、適切にふるまう」能力の涵養こそが教養教育の眼目である、と。
・・・それが「学び」の基本なんですから。
・・・自分が何を知らないのか、何ができないのかを適切に言語化する。その答えを知っていそうな人、その答えにたどりつける道筋を教えてくれそうな人を探り当てる。そしてその人が「答えを教えてもいいような気にさせる」こと。
 それだけです。

大学院の講義をベースにしていて、後半部分は学生の研究発表に対するコメントを各章にしているので、つながりは悪いですが逆に取り上げているテーマは広がります。

何か答えが書いてあるという本ではなく、自分が何がわかっていないか、またはわかっていたと思ったがこういう考えがあったか、と目からウロコを落としてみたい人にお勧めです。

 

コメント
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