商品説明(下に引用)では「資本主義経済の矛盾」「田舎暮らし」「食の安全」というウケのいいキーワードが並んでいるので(さらに「マルクス」とくると「革命」と安易なキャッチもいまいちだった)、ちょっと懐疑的に(でもまあ、ミシマガジン経由だったので半分おつきあいで)読んでみたが、(意外といっては失礼ですが)地に足の着いたいい本だった。
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どうしてこんなに働かされ続けるのか? なぜ給料が上がらないのか? 自分は何になりたいのか?--人生どん底の著者を田舎に導いたのは、天然菌とマルクスだった。講談社+ミシマ社三島邦弘コラボレーションによる、とても不思議なビジネス書ここに刊行。「この世に存在するものはすべて腐り土に帰る。なのにお金だけは腐らないのはなぜ?」--150年前、カール・マルクスが「資本論」であきらかにした資本主義の病理は、その後なんら改善されないどころかいまや終わりの始まりが。リーマン・ショック以降、世界経済の不全は、ヨーロッパや日本ほか新興国など地球上を覆い尽くした。「この世界のあらたな仕組み」を、岡山駅から2時間以上、蒜山高原の麓の古い街道筋の美しい集落の勝山で、築百年超の古民家に棲む天然酵母と自然栽培の小麦でパンを作るパン職人・渡邉格が実践している。パンを武器に日本の辺境から静かな革命「腐る経済」が始まっている。
【著者・渡邉格(わたなべ いたる)から読者のみなさんに】
まっとうに働いて、はやく一人前になりたいーー。回り道して30歳ではじめて社会に出た僕が抱いたのは、ほんのささやかな願いでした。ところが、僕が飛び込んだパンの世界には、多くの矛盾がありました。過酷な長時間労働、添加物を使っているのに「無添加な」パン……。効率や利潤をひたすら追求する資本主義経済のなかで、パン屋で働くパン職人は、経済の矛盾を一身に背負わされていたのです。 僕は妻とふたり、「そうではない」パン屋を営むために、田舎で店を開きました。それから5年半、見えてきたひとつのかたちが、「腐る経済」です。この世でお金だけが「腐らない」。そのお金が、社会と人の暮らしを振り回しています。「職」(労働力)も「食」(商品)も安さばかりが追求され、 その結果、2つの「しょく(職・食)」はどんどんおかしくなっています。そんな社会を、僕らは子どもに残したくはない。僕らは、子どもに残したい社会をつくるために、田舎でパンをつくり、そこから見えてきたことをこの本に記しました。いまの働き方に疑問や矛盾を感じている人に、そして、パンを食べるすべての人に、手にとってもらいたい一冊です。
上でも著者自身は別に革命を起こそうとか言っているわけでも、田舎暮らしを手放しで礼賛しているわけでもない。
試行錯誤の結果たどり着いたのが今の形であり、本書は著者のその試行錯誤の過程が描かれているのが本書の魅力になっている。
著者がマルクスから示唆を受けたのは、資本主義経済においては、労働力も他の商品と同様「交換価値」になってしまい(なつかしいが『経済学・哲学草稿』でいう「疎外」「外化」が起きるということ)、その結果生産手段を持つ資本家が超過利潤が集中し、労働者は自らの労働が生み出した利潤を搾取される、というところ。
ただ、
そこでマルクスは、労働者みんなで「生産手段」を共有する共産主義(社会主義)を目指したわけだが、マルクスには申し訳ないけれど、今さらそういう方法がうまくいくとも思えない。それよりも、今の時代は、ひとりひとりが自前の「生産手段」を取り戻すことが、有効な策になるのではないかと思う。
そのためには利潤を蓄積することを目的にせず、従業員にも適切な分配をし、良質な原材料を使った高い原価率の高品質なパンを売る、という今の形にたどりついた。
しかし利潤を出すことを目的としないといっても赤字では商売が継続しないので、そのためには適正価格で(都会のパン屋より高い値段で)商品を売ることも必要だし、商品を売るには宅急便やSNSなどによる情報発信といういわば資本主義の成果も必要であることは否定していない。
そして、パン屋という仕事が原料の小麦や水の調達、蔵付き酵母の存在など「田舎」と親和性の高いものであり、また田舎の生活費が安さなどさまざまなもののバランスの中で今の著者のパン屋が成り立っていることを十分に認識している。
著者の田舎のパン屋は「特殊解」であり、誰もが同じことや似たようなことをすればうまくいくわけではない。その意味では無邪気な田舎暮らし礼賛、自然礼賛、という人には冷や水を浴びせる部分もある。
「田舎」に住む人たちは、人が「都会」に吸い寄せられていくことに頭を悩ませてはいるものの、かと言って、誰でもいいから人が来てくれればいいとは思っていない。技術もなにもない、なにもできない人間がノコノコやってきたところで、「田舎」のためにはならない。力がなければ「田舎」で生きていくこともできないし、「田舎」に活力を取り戻させることもとうていできるはずがないのだ。
本書で大事なのは「特殊解」を求める試行錯誤をする人が増えることが、世の中をよくすることにつながるのではないかということだと思う。
そのためには資本主義と大上段にいかなくても世の中の仕組みに対して自覚的であることが必要だ、ということを本書は示唆している。