ばったりと 何十年ぶりかの知人に会いました。
お元気でしたか❓ のつぎに 彼が言いました。
「ご主人もお元気でしょう」「はい 元気にしております」
と答えてから 数十年前のやり取りが浮かびました。
初めて2人で彼の家へ行った時 出されたお茶を飲みながら
「割れ鍋に綴じ蓋でして・・」と話の中で彼が言いました。
すると夫が「割れた鍋に蓋をしても 使えませんからねぇ」
と言ったのです。 女房は顔が大火事になり下をむきました
それを聞いた彼は にこりともせず もちろん吹き出しもせず
「そうそう そうですよ」 と言ったのです。
「あのねぇ それとはちょっと ちがうと思うがね」
ともっと親しければ 彼は言ったと思います。それとも女房の
前で恥をかかせてはならんとの 大人の思いやりでしょうか。
お茶を出してくれた奥さんも元気とのこと。上品に年齢を重ねた
彼のうしろ姿を見送り 割れ鍋のもとへ 綴じ蓋は帰りました。
でもあたしも今ならわかるけど、何十年も前だったら主人が大火事にあったかもしれません、あはは
このような場面に、瞬時に周りの雰囲気を崩さぬように言葉をえらんでの神対応、とてもとてもうれしい気持ちになりました。
すこし外れますが、
日本フイル演奏会へ、満席の会場でのこと。
遅れてきた人が自分の指定席に座るために、
手前の2~3人が席を立ち上がって通してあげても、
会釈の一つもなく、素知らぬ顔してお尻を椅子にどしん!と座る人を見て、情けない気持ちになりました。
どこかで以前と同じ事を言っていると思いますが もう知りません。
不用意なことを言い相手を怒らせることを『琴線に触れる』とよく使われます。
本来の意味は『感動や共鳴を与えること』だそうで今の使い方は間違いだとか。
間違いでもずっと使っておれば それが正しい使い方になる不思議さです。
あれが反対なら相手に注意はせずとも 私ならニタニタしたと思いますが大人ですね。
そうそう今風に言えば神対応です。神様には一朝一夕にはなれません。
演奏会場に遅れてくるのが もうすでに非常識です。まわりの善意の人たちが
神対応をしたのに遅刻人はその態度ですか。一言お礼を言うべきでした。
考えてみれば不思議なことです(隠したらええんかい❗)。
『お茶壺茶壺、茶壺に蓋がない、底を取って蓋にしよ』みたいなハナシですね🎵
動画は簡単そうですが早くなると もうついて行けない。最後に蓋をするのですね。
この遊びは保育園や幼稚園の園児だけでなく 老人ホームでも使えますね。
ええ まぁ確かに割れている鍋に蓋をしても 鍋本来の働きはしませんが
昔から言われていることわざを 自分だけの判断ですぐ口に出されても・・ねぇ
「間違いでもずっと使っておれば それが正しい使い方になる不思議さです」
・・・・同感です。
本来の意味が違った方で使われてるのが
残念ですが、本当の意味で使ってても
相手がわからないとしょうがないから
大多数の人が使ってると
「そういう意味でも使うことがある」ってことになってますよね。
「琴線に触れる」はとてもいい言葉なのにもったいないな。
「逆鱗に触れる」と混ぜこぜになったのかな。
身近なところだと「やばい」も昔はその言葉通りだったけど
頑張っておいしいものを作って食べてもらったら「これ、やばい」なんて
言葉が返ってきたら「えっ?傷んでる?」って聞きそうになる。
おいしい物にも嬉しい事にも「やばい」って!って思ったけど
今は普通に使ってますね。
「失笑」も本来は 「おかしくて我慢していたのに
つい、ぷっ!って吹き出してしまうような状態」なのに
今は当たり前につまらないオヤジギャグなんかを聞かされた時の
呆れたような冷ややかな笑い、みたいに使われてる。
本当の意味が分からない時は私は難しい言葉を使わないようにしています。
「それ、どっちの意味?」にならないように。
長年使ううちにそれが王道になり 正しい意味は間違いと言われそうです。
聞かれて説明できない言葉は 私も使わないようにしています。
『やばい』も今では広く解釈されるようになり 出川氏の乱発するやばいは
危険・おいしいなど様々です。
本来なら美しい日本語の正しい使い方があったでしょうに 若者から様々な
解釈が生まれている気がします。金田一京助氏が健在なら何と言うでしょうか❓
今はあまり言われなくなりましたが 何年かまえ会合でおまんじゅうが出された時
隣りに座る若者に勧めたら『だいじょうぶです』と言われて
はぁ 要るのか要らんのか どっちよ❓ と迷いました。
携帯電話が広く普及してから 若者を中心に様々な日本語が生まれた気がします。
ついて行けませんが それでもいいです。
確かに!要るんかい?要らんのかい?って感じですね ( ̄▽ ̄)
「大丈夫です」とか「結構です」って
どっちの意味にも使えて難しいですね。
何かを勧めた時の「だいじょうぶです」って
普通は「NO」って感じに取れる?と思うのだけど
スーパーで「レジ袋はだいじょうぶですか?」と店員さんが声をかけたら
「だいじょうぶです」というので要らないと店員さんは思い、お客さん側は
「ちょっと!レジ袋!入れてって言ったのに」ってなこともあるみたいで。
こんな時は「だいじょうぶです」より「要ります」がいいのかな?
相手を思いやる言葉やキレイな言葉は残って欲しいと思うけど
言葉は時代とともに変わって行くものと言いますから
仕方ないんでしょうね (*'ω'*)
今はどんなに早く号外を出しても ネットニュースのスピードには敵いません。
世界中で起きたニュースを瞬時に 家で知ることが出来るようになり
世のスピードが加速して 同時に言葉もどんどん進化❓していった気がします。
わが家のように若者がいない老人宅は 世界のニュースは知りえても
身近な若者の言葉の変化・進化にはついて行けず 私たちよりずっと年配者でも
孫と同居している人が 新しい言葉や若者言葉を知っています。
これも現在高校生で 新しい言葉を使っている若者でも
数十年後には若者言葉について行けない の思いをするでしょうかね。