元国会議員で暴露系YouTuberを名乗る〇〇シーが逮捕されたが、今回紹介する映画サンセット大通りは同じ暴露系でも、映画界の内幕を暴き出した映画。最近でもハリウッドの内幕を描いた映画は多いが、本作はその走りであり、それらの映画に大きな影響を与えているのは間違いあるまい。
かなり古い映画であり、今では古典的名作として挙げられることのある映画ではあるが、昔のサイレント映画に造詣が深い人にとってはたまらないシーンが連発。なんせ実名はバンバン出てくるし、サイレント映画界時代の大物だったあの俳優、映画監督も本人役で登場する。そういった意味ではサイレント映画にオマージュを捧げているようにも思える映画だ。
さて、本作を観る前に知っておきたい事として大まかな映画の時代の流れの説明が少し必要だろう。だいたい1900年頃に映画は始まったようだが映像はモノクロ(白黒)で、サイレント(無声映画)。しかし、1920年代後半からトーキー(声有りの映画)となり、やがてカラー映画も作られることになる。そんな映画の流れに被害を受けたのがサイレント時代に活躍した女優たち。サイレントにモノクロの時代なら美人や可愛い子ちゃんであれば、映画スターの座に居続けられるとしたものだが、それがトーキーになってくると台詞は棒読みではいけないし、訛りがキツイ、発音が悪いとかも致命傷になりかねない。更にモノクロだと顔のシワやシミがバレなかったりで誤魔化しが利かすことができるが、カラーになるとそれらをカバーするのが大変だし、モノクロだと美人だと思っていたのにカラーになったら案外だったなんてこともあり得たりする。更なる加齢による容姿の衰えはモノクロ映画全盛期にスターの座を掴みとっていた女優達の多くは、このような弊害によって急に仕事が無くなったりして、次第に忘れられた存在になってしまうなんてことも多々あった。そして本作が公開された1950年という時を想うと、既にトーキー全盛であり、サイレント時代に活躍した映画女優にとっては如何に厳しい時代だったか、今の人にも想像できるだろう。
長い前触れはこのぐらいにしておいて、本題のストーリーをできるだけ簡単に紹介しよう。
ハリウッドのサンセット大通りの豪邸で独りの男がプールにうつ伏せで浮かぶ格好で死んでいる男がいる。彼は金に困っていて売れない二流の脚本家であり、名前はギリス(ウィリアム・ホールデン)。彼は何故死んでしまったのか?
ギリスが死亡する半年前のこと、彼はすっかり生活に困窮し車の取り立てに追われていた。取り立てから逃げおおせた所が、ハリウッドのサンセット大通りにある外見は幽霊屋敷化した豪邸。恐る恐る家の中に入っていくと、そこにはサイレント映画時代の大スター女優であったノーマ・デズモンド(グロリア・スワソン)と怪しげな雰囲気をしている執事のマックス(エリッヒ・フォン・シュトラハイム)が住んでいた。外見とは裏腹に、家の中は結構なきらびやか。最初こそはギリスは追い返されそうになるが、どういうわけか、ノーマからこの家に住んでも良いと言われる。いかがわしい雰囲気が漂うこの家から出て行きたかったギリスだったが、結局は住みこむだけでカネは貰えるし居つくことに決める。しかし、ノーマの過去の栄光に縋り付く妄想は次第に激しくなり、寄りに寄って彼女に惚れられてしまっては益々の不自由さを感じる。脚本家としてハリウッドで成功する夢を全て捨てて、田舎へ帰る決心をしたギリスだったのだが、冒頭の悲劇が起きてしまい・・・
死亡した人間が『どうして私はこんな事になったのでしょう?』って観客に問いかけてストーリーが進み、ちょいちょい死亡した男のナレーションが入る構成。今では結構このようなスタイルの映画はあるが、当時は相当に珍しいように思う。演出が秀逸なお陰で、この死亡した男性の遺体の撮り方が魅せる。
さて、この嘗ての大スターであるノーマ・デズモンドだが過去にしがみ付く様子が怖いし、また銀幕に復帰するためのストイックさも怖い。ノーマを演じるグロリア・スワソンだが、この人自体がサイレント期の大スター女優。実は彼女は等身大の自分を本作で演じていたことになる。そして、このような背景が最後の最後で本領発揮の名場面につながるのだ。
そして、執事のマックスだが異様な雰囲気を醸し出しているが、この人の正体をここでバラすことは止めておくが、演じるエリッヒ・フォン・シュトラハイムを知ると、この映画の非常に計算されいることが良く理解できるだろう。そして、この人物もそれまでは何だか不気味だったのが、最後に一気に光輝く。
サスペンスタッチでフィルムノワールの典型的な作品だが、最後の最後に強烈なシーンで魅せるから、本作の評価は非常に高い。もちろん最後の最後だけが優れた映画ではない。本作の脚本家はギリスのような二流脚本家ではないことが、映画全体の台詞からよくわかるし、ちょいちょいシニカルな笑いもある。俺が印象的だったのが、ノーマが自宅にかつてのサイレント全盛の映画スターを集めてカード遊びをしているシーンがあるのだが、その時にギリスが語る台詞は笑えた。
ただでさえ人生負け組みのギリスがノーマによって追いつめられる様子はホラー映画に近いし、非常に洗練されたタッチは演出の妙を感じさせる。あまりにも古い映画なので、本作の登場人物に対して感情移入し難い面はあるかもしれないが、古い映画をよく知っている人にとっては最初の方にも述べたように色々な意味で楽しめる。もちろん映画の方も見応え充分でサスペンス好きな方なら非常に楽しめる。暴露系と言ってしまうと最近では非常に印象の悪さを伴ってしまうのが残念だが、演出のテクニック、シニカルな笑い、ストーリー構成といった玄人受けする映画として今回はサンセット大通りをお勧めに挙げておこう
監督はビリー・ワイルダー。何回もこのブログでは書いているが、俺の最も大好きな映画監督。随所にテクニックを感じさせる演出は本当に楽しいし、本作のようなサスペンス、ラブコメになかなかに得意幅が広い監督。色々とお勧め映画はあるが、あえて一作だけ挙げるとアパートの鍵貸しますは何回でも観れます
かなり古い映画であり、今では古典的名作として挙げられることのある映画ではあるが、昔のサイレント映画に造詣が深い人にとってはたまらないシーンが連発。なんせ実名はバンバン出てくるし、サイレント映画界時代の大物だったあの俳優、映画監督も本人役で登場する。そういった意味ではサイレント映画にオマージュを捧げているようにも思える映画だ。
さて、本作を観る前に知っておきたい事として大まかな映画の時代の流れの説明が少し必要だろう。だいたい1900年頃に映画は始まったようだが映像はモノクロ(白黒)で、サイレント(無声映画)。しかし、1920年代後半からトーキー(声有りの映画)となり、やがてカラー映画も作られることになる。そんな映画の流れに被害を受けたのがサイレント時代に活躍した女優たち。サイレントにモノクロの時代なら美人や可愛い子ちゃんであれば、映画スターの座に居続けられるとしたものだが、それがトーキーになってくると台詞は棒読みではいけないし、訛りがキツイ、発音が悪いとかも致命傷になりかねない。更にモノクロだと顔のシワやシミがバレなかったりで誤魔化しが利かすことができるが、カラーになるとそれらをカバーするのが大変だし、モノクロだと美人だと思っていたのにカラーになったら案外だったなんてこともあり得たりする。更なる加齢による容姿の衰えはモノクロ映画全盛期にスターの座を掴みとっていた女優達の多くは、このような弊害によって急に仕事が無くなったりして、次第に忘れられた存在になってしまうなんてことも多々あった。そして本作が公開された1950年という時を想うと、既にトーキー全盛であり、サイレント時代に活躍した映画女優にとっては如何に厳しい時代だったか、今の人にも想像できるだろう。
長い前触れはこのぐらいにしておいて、本題のストーリーをできるだけ簡単に紹介しよう。
ハリウッドのサンセット大通りの豪邸で独りの男がプールにうつ伏せで浮かぶ格好で死んでいる男がいる。彼は金に困っていて売れない二流の脚本家であり、名前はギリス(ウィリアム・ホールデン)。彼は何故死んでしまったのか?
ギリスが死亡する半年前のこと、彼はすっかり生活に困窮し車の取り立てに追われていた。取り立てから逃げおおせた所が、ハリウッドのサンセット大通りにある外見は幽霊屋敷化した豪邸。恐る恐る家の中に入っていくと、そこにはサイレント映画時代の大スター女優であったノーマ・デズモンド(グロリア・スワソン)と怪しげな雰囲気をしている執事のマックス(エリッヒ・フォン・シュトラハイム)が住んでいた。外見とは裏腹に、家の中は結構なきらびやか。最初こそはギリスは追い返されそうになるが、どういうわけか、ノーマからこの家に住んでも良いと言われる。いかがわしい雰囲気が漂うこの家から出て行きたかったギリスだったが、結局は住みこむだけでカネは貰えるし居つくことに決める。しかし、ノーマの過去の栄光に縋り付く妄想は次第に激しくなり、寄りに寄って彼女に惚れられてしまっては益々の不自由さを感じる。脚本家としてハリウッドで成功する夢を全て捨てて、田舎へ帰る決心をしたギリスだったのだが、冒頭の悲劇が起きてしまい・・・
死亡した人間が『どうして私はこんな事になったのでしょう?』って観客に問いかけてストーリーが進み、ちょいちょい死亡した男のナレーションが入る構成。今では結構このようなスタイルの映画はあるが、当時は相当に珍しいように思う。演出が秀逸なお陰で、この死亡した男性の遺体の撮り方が魅せる。
さて、この嘗ての大スターであるノーマ・デズモンドだが過去にしがみ付く様子が怖いし、また銀幕に復帰するためのストイックさも怖い。ノーマを演じるグロリア・スワソンだが、この人自体がサイレント期の大スター女優。実は彼女は等身大の自分を本作で演じていたことになる。そして、このような背景が最後の最後で本領発揮の名場面につながるのだ。
そして、執事のマックスだが異様な雰囲気を醸し出しているが、この人の正体をここでバラすことは止めておくが、演じるエリッヒ・フォン・シュトラハイムを知ると、この映画の非常に計算されいることが良く理解できるだろう。そして、この人物もそれまでは何だか不気味だったのが、最後に一気に光輝く。
サスペンスタッチでフィルムノワールの典型的な作品だが、最後の最後に強烈なシーンで魅せるから、本作の評価は非常に高い。もちろん最後の最後だけが優れた映画ではない。本作の脚本家はギリスのような二流脚本家ではないことが、映画全体の台詞からよくわかるし、ちょいちょいシニカルな笑いもある。俺が印象的だったのが、ノーマが自宅にかつてのサイレント全盛の映画スターを集めてカード遊びをしているシーンがあるのだが、その時にギリスが語る台詞は笑えた。
ただでさえ人生負け組みのギリスがノーマによって追いつめられる様子はホラー映画に近いし、非常に洗練されたタッチは演出の妙を感じさせる。あまりにも古い映画なので、本作の登場人物に対して感情移入し難い面はあるかもしれないが、古い映画をよく知っている人にとっては最初の方にも述べたように色々な意味で楽しめる。もちろん映画の方も見応え充分でサスペンス好きな方なら非常に楽しめる。暴露系と言ってしまうと最近では非常に印象の悪さを伴ってしまうのが残念だが、演出のテクニック、シニカルな笑い、ストーリー構成といった玄人受けする映画として今回はサンセット大通りをお勧めに挙げておこう
監督はビリー・ワイルダー。何回もこのブログでは書いているが、俺の最も大好きな映画監督。随所にテクニックを感じさせる演出は本当に楽しいし、本作のようなサスペンス、ラブコメになかなかに得意幅が広い監督。色々とお勧め映画はあるが、あえて一作だけ挙げるとアパートの鍵貸しますは何回でも観れます
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