枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

やさしい雨・・・

2011年04月18日 | Weblog

 何時の間に降りだしたのか雨だ。なんだか音もなく降ってくる。春の雨はやさしい。と、小椋佳さんの歌にもあるが、しんなりするような雨です。柳の芽が青くしな垂れている。庭桜が咲き始めた。チューリップが満開になった。勿忘草が、今年も忘れないで咲いた。季節の移り変わりには、自然を知らなければわからないことが多いのです。

 桜が満開になっても、未だ咲かなかった場所に、今日は咲いているのが見えた。天予報はあくまでも全体的な事。その地方や条件に依って、早かったり、遅かったりする。それが自然。だから人間である我々は、風向きや地熱などの変化を、植物や昆虫に教えてもらうことになる。知識だけが一人歩きをし、机上のことだけではわからないのが、そも自然であろう。

 亡き祖母が言っていた。あそこに黒雲が湧けば、必ず雷を伴った雨が降る。しかもそれは、旧暦での如月のこと。雷生ずであった。燕が遠い海を越えてやって来るのも、雁が北に帰るのも同じで、風向きや雲の流れが、証拠であった。虹が現れるのもだ。季節は廻るが、そのことを心に留めるかは、自由である。だが、昔から培われ伝えられてきたのも事実。

 今も尚、祖母が生きていてくれたら。と思う。学び足りない。学校では教えてもらえなかったことも、祖母は知っていた。生活することは生きることになり、そこにあるもので工夫し、知恵を絞る。あれがない。これがない。何もできない。ではなく、これをどうすれば生かせるかを、常に考えていた祖母だった。

 故郷の山も畑も荒れ放題。ここに豚を飼えば土が起こせる。枇杷を植えれば、収入に繋がるのに。兄と妹の頭には、農薬で処理することしかない。私には、思いや考えがあっても、貯えがないのが哀しい。母が亡くなり、兄妹で力を合わせてしよう。と言った兄の弔辞は真実がない。自然からの恩恵をもらって、それを自然に還すことをしなければ。

 先月の嫁の誕生日に作った、茶巾寿しと蛤寿し。これは卵がポイントだが、薄く焼いて、きれいに包むのは、難しかった。寿し飯の味は好評でした。

コメント
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