テレビは観ていなくてもつけっぱなし。冬の暖房、夏の冷房に加えて、空気清浄器にセキュリティ効果のあるもの、或いは花粉対策などのナノイーなど。普通の生活に於いて、そこまで必要かと思われるものの類が、最近の電化住宅には付加されている。そういったことより、自然への共有で、体の持つ治癒能力を高め、免疫や抗体を作れる仕組みに変えられないものか。
車にしても、燃料の選べるタンクがあって、電気やガソリンではなく、エコロジーナバイオ燃料で走れないのか。服も靴も、買う時には下取りをして、ゴミに出すのを避けたい物だ。無論、これらの品物以外も同じで、捨ててしまうのではなく、再生する方法を考えたい。凡そ、何等かの利用法があるものだ。コストが高いとか、面倒だとかは、資源の無駄使いではないか。
最も、買わないのがよい。普段着と外出着に仕事着とがあればよく、一度には着られないのだ、場所を取るだけかもしれない。体のサイズが変わらないよう、気をつけることは、健康であることになり、薬も飲まないから副作用もない。人間は、上を見ると限がない。しだいに欲望の塊になっていき、終いには天に向かって唾を吐く。
創意工夫と、便利さは似ているようで違う。与えられた物で、生活していくための知恵を絞るのと、作られた物に頼り切るのは進歩がないように思う。つまり未来に向かう姿が、正反対ではないか。自然と暮らすことは、燃料も食料も、自分たちで作り出し蓄えていくこと。敢えて言えば苦労が多いということにもなるだろう。だが歓びも大きい。
原発がなくても、暮らしはできるのだ。地球に住まわせてもらっていることに感謝して、自然のなかに居り、その恵みを戴くことで満足しよう。豊かな生活の裏には、何があるのかも知っておきたい。自分のできることに値する、自然からのエネルギーをもらえることこそ、何よりも素晴らしいことに思う。枇杷葉のお蔭で、元気にもなったし、考え方も変わった。ありがたい。
我が家の梅の木。白梅です。楚々とした佇まいが好きですね。仄かに漂う香りもいい。