午前中は天気がもつか?と、思っていたのが、昼前から音もなく小雨模様。しかし出かける予定は、中止にする様子もない。車中から眺めることにして、決行する。ドライブである。梅雨の時期に見える、紫陽花と花菖蒲だが、今年の開花時期は遅れているのか、あまり咲いていなかった。途中の休息所で、ソフトクリームを買い食べる。花より団子。
深緑の木々の美しさは、さして眼に映っていなかったようで、ちょっとした散歩になってしまった。出かけたこと自体がうれしいと、しょげ返る私を慰めてくれ、感謝やお礼の言葉を言われたのには、更に落ち込んでしまった。四季折々の花を見に行くことは、その季節に咲く花を知っていなければならず、案内することの難しさを反省する。
車は便利ではあるが、ちゃんと見ることや、ゆっくり見て歩くことが忘れられている。既に、現役を退いているのだから、悠々自適であって然りなのだが、今も変わらずという思いが大きい。現実との谷間を行き来する。元気であることの思いに反比例して、体の伴わないことが、理不尽になるらしい。
仕出し屋の手前の家に、枇杷があった。日当たりがいいのだろう。黄色に熟れていた。未だ青いのもあったが、思わぬところで見つけて、運転手さんにバックしてもらう。鈴生りの枇杷に、生き生きと輝く目が、印象的だった。桑の実もそうだが、昔にはこういった物が、おやつであったのだ。買えばいいとかいう問題でなく、当たり前の風景だった。
ナルニア国物語。カスピアン王子の角笛を買う。明日は休みに付き観る。ピーターも、エドモンドも、スーザンやルーシーにも、遭えたことがうれしい。そして、ルーシーの言う、信じるという台詞には、純粋さが込められている事に気づく。見えないのではなく、視ようとしないから。というのも頷ける。
アスランの、何故遭いに来なかった?と、いう問いかけもいい。同時に、ルーシーの恐れる気持ちにも同感できる。自然の物、そこに存在している物への畏怖は、外でもない神そのものなのだから。信じなければ達成できず、成しえた時に、そこから去らなければならないことも、潔く受け入れなければならない。決めるのは、自分でもある。
すくすく育つ、りささんの枇杷葉。鉢仕立てです。下に見えるのは、クリスマスローズです。我が家の枇杷葉は、クリスマスローズと相性がいいのです。