天気が定まらず、曇ったり、晴れたり、時雨れたりである。人間にとっては、晴れているのがいいようにも思えるが、植物や動物には、決してそうではないようだ。自然界が、上手く周っていくためには、其々に餌になったりしなければ、地球上に生き物が溢れかえって、棲む場所がなくなる。
人間にも、神さまは警告する。その意味するところが、何かを知れば、自分の命を大切にもし、相手を思いやり、生きることの深さに気づくのではないか。ところが、自分に都合よく考えるばかりなので、神の怒りを買う事にも陥る。この世で一番大切な物って、何だろう?そんなことこそ、存在しないのかも。
原発の安全神話が崩壊した。加えて、人間の考えられる知能を、遙かに超えた未知数の現実に、人間は立ち向かっていかなければならなくなった。原発の現場で昼夜を問わず、働いている人たちは、自分の命を投げ出しても尚、子々孫々に残しておきたい棲む場所が、せめて存在することを願う。
生きるという事の裏返しには、厳しい現実がある。その一瞬を、生きなければならない現実がある。何かの文句を言う前に、全てのことに想いを馳せ、全力で尽くしたいと考えてしまうのは、人として当たり前の姿に思えるが、誰もがまた、そうでもないのだろう。被爆していかれることに、胸が痛む。
祖母の好きだった、庭桜。故郷の庭に、春の訪れと共に、咲き乱れていた。白いコゴメ花と対になって、とても綺麗だった。