枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

卯の花の咲く垣根

2011年06月04日 | Weblog

 この時期の、山々の裾に広がる白い花は、卯の花が多い。誰も手折らないものだから、群れてしな垂れる。蜜蜂が飛び交い、甘い匂いが漂う。野茨は別名、苗代いちご、とも言って、田植の頃に赤く熟れる。石垣に鈴生りになり、子どもの時のお八つだった。これの黄色もあり、こちらの方が断然美味しいが、今はあまり見かけない。

 麦いちごもあり、これは少々、実が硬い。それでも子どもの頃には、何よりな食べ物で、学校から帰るや、ランドセルを上がり端に投げて、取りに翔けた。蜂や蝮にびくつきながらも、甘い匂いに惹かれた。今のように、お八つが買えない時代でもあり、反対に自然を満喫できた頃でもある。故郷はその面影もなく、寂れてしまった。

 蒸し々したお天気ですが、湿気はこのくらいが体調にはいいらしい。それを直ぐに冷房をかけては、体が調整できなくて、故障してしまう。高齢になれば余計に難しくなる。そのためにも、衣類で加減をしたり、水分補給に努めたりするのがいい。電気代も莫迦にならない。原発に頼らない工夫が大切です。

 人間の知恵には、文殊観音さまがいて、困った時には授けてくださる。『大男、総身に知恵が回り兼ね』ではなく、『山椒は小粒でもピリリと辛い』のように、メリハリの利いた体を作りたい。肥満の体には、小さな病を始めとする、心因性の要素が蓄積される。所謂、眼に視えないものであり、気づかぬ間に広がって、手に負えない。

 掛け時計が狂った。地震があり、針が1時間遅れで、危うく遅刻するところだった。仕事を終えて帰宅すると、更に酷くなり由に、4時間は遅れている。これでは時計の意味がない。どうも銀河の居ないことへばかり、想いが集まる。つい、何時もの姿を追って、虚しさが広がるのだ。何者にも変え難い存在であったことが偲ばれる。

 春の庭に咲くリナリア。毎年、満開になって、そのまま種が零れる。小さな庭だが、花の溢れる春になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする