枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

二百十日・大つち

2013年09月01日 | Weblog

 行事多彩の日である。この日は、関東大震災の起きた日で、おしんの中でも、田中裕子さんが演じていて、その揺れ方にたまげてしまった。悲惨さは記するべきもない。天災は忘れた頃にやって来る。との諺もある。皆、目先のことだけで直ぐに忘れる。

 然し、原発は別である。膨大な放射線の放出と、汚染水の垂れ流しである。風評被害は未だ続く。亡くなった人も浮かばれない。取り返しが吐かないのだ。なす術のない事実に、身動きできない有様。その哀しみを苦しみもまた、何処に持って往けばいい。

 人類は、立って短い。自分たちを護る筈であったのが、何時しか驕り、慢心し、自信過剰と生って、科学を侮り、見縊ってしまった。戦争を終結する、手っ取り早い方法が、原爆投下であった。科学者の中には反対の者もいたろうが、多数決で決行された由。

 広島に原爆を落とす前に、アメリカはちゃんと事前実験をしている。其処での凄惨さを知っていながら、敢えて投下した。一瞬にして、広島を消し去る威力があったのだ。自然が少しばかり味方しているとはいえ、悲惨さには変わりない。懲りない者が多い。

 地球には、あらゆる資源が、地下深く眠っている。それらを掘り出して使うのも、其処に国のある者の自由だろう。ウランも、コバルトやチタンも、危険な物資だが、治療を目的にされているのも事実。鉄腕アトム作品中に、兄弟妹として登場させている。

 物理的な作用自体には、分野的に専門でもない限り、詳しい知識は乏しい。アトムの中で、世界最強のロボット、として戦うプルート。これはプルトニュームのこと。それもウランを何故か慕うのかが、今となってわかった。なるほど、離れ難い間柄なのだ。

 人間は、愚かであることを意識して、努力を重ねていかねばならないが、平和な時代では慣れてしまう。苦しいことにも、厭なことにも、重労働なことからも逃げる。そうして自然災害を忘れる。神の言葉を信じ、己の信念を曲げない者が、救われる。

 今朝、避難訓練があった。ばかばかしいので止めた。人間、死ぬ時は必ず来る。況して、避難するって、逃げ場がないんだ。何処に行っても同じです。食料が欠乏したら、その時である。まあ、水は当分の間は確保している。仕事には行けないが・・・。

 毎年、この時期に帰って来る。冬眠している筈で、自然のサイクルを忘れない。たいしたものだなぁ・・・。

コメント
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